【知道中国 1298回】                       一五・九・念五

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡39)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

ここで小休止。岡から少し離れ、永遠に不滅の賄賂文化について考えることにして、以下の実例が発生した時期や発言の主が誰かを推測してもらいたい。

 

①共産党天津委員会書記の劉青山と張子善の2人は、自らの地位を利用し空港建設費・備蓄食品・治水工事資金などを掠め取り、労働者の賃金の上前を撥ね、銀行の貸金を詐取するなど、総計で155億5千万元余の不正を働いた。また、あるビジネスマンに投機目的で4億元の資金を与えた結果、鋼鉄・木材の市場は混乱し、関連国営企業が倒産するなど、全体で公金14億元が失われた。

 

②武漢市の福華電機・脱脂綿廠社長の李寅廷は軍から受注した救急医療用脱脂綿の製造に当たり、政府支給の高品質綿花の代わりに廃綿を消毒も漂泊もせず使用した。廃綿中の1千斤は廃品回収業者から購入したが、それらは幼子の死骸についていたもの。その廃綿を打ち返すと工場内に悪臭が漂うだけでな、小さな頭蓋骨が出てきたこともあった。

 

③上海市の商人・王康年は25機関の65人の幹部に賄賂を届ける一方、幹部籠絡の目的で会社に「外勤部」を新設し、2億元ほどの交際費を使った。その90%は賄賂用だった。上海に出張して来た安徽省政府衛生所購買員の段海恩を宿舎に訪ね、大歓待した。王にすっかり籠絡され信用した段の紹介を受け、同僚の張振立が上海出張の際に王を訪ねる。すると王は「外勤部長」を差し向け張の接待に当たらせ、最高級ホテル、レストラン、買い物など一切の費用は「外勤部長」が支払った。

 

張の父親が病気だと知ると50万元を、弟が金策に苦慮していると知ると70万元を気前よく用立ててやっている。やがて王は張に向って親しみを込めながら、「老張! 不調法なもてなしを出はありましたが、あなた名義で僅かばかりですが貯金をしておきましたから、必要な時にはいくらでもお使いください」と。

 

こうして人脈を築いた王は、張を通じて10億元余の品物を安徽省政府に納入したが、その90%は粗悪品であり、納期期限がきても未納の薬品は少なくない。

 

④上海で牛肉を販売する張新根と徐苗新の2人は100斤当り60斤の割合で水牛の肉を混ぜたものを正真正銘の牛肉と偽って30万斤ほどを販売し、2億6千万元余を不正に取得した。また市場で売れ残った下等な肉、腐った肉、検査をごまかした肉、さらには死んだ牛の肉を仕入れ販売した。

 

⑤経緯紡績機械工場で新工場建設工事を行ったが、設計・施工ともデタラメで、289本の土台柱のうちの280本に欠陥が発生し、工場全体が沈下した。

 

⑥中国人民銀行本店視察団を迎えた同行河南省分局では2億5千万元の接待費を用意する一方、招待を口実に分局幹部が宴会を重ね、幹部家族は公用車を私用した。

 

⑦「幹部らは職権を乱用し、現実からも一般大衆からも目を背け、偉そうに体裁を装うことに時間と労力を費やし、無駄話にふけり、ガチガチとした考え方に縛られ、行政機関に無駄なスタッフを置き、鈍臭くて無能で無責任で約束も守らず、問題に対処せずに書類を延々とたらい回しし、他人に責任をなすりつけ、役人風を吹かせ、なにかにつけて他人を非難し、攻撃し、民主主義を抑圧し、上役と部下を欺き、気まぐれで横暴で、えこひいきで、袖の下を使えば、他の汚職にも関与している」

 

――さて種明かし。建国直後の51、52年、幹部と資本家の不正を防止・撲滅するために「三反五反運動」と呼ばれる政治運動が全国規模で展開されているが、①から⑥までは、その際に摘発されたほんの数例。⑦は改革・開放直後の80年8月の鄧小平発言。

 

最早、なにを言ってもムダだろうに。賄賂文化は永遠に不滅なのだから・・・。《QED》