【知道中国 1297回】                       一五・九・念三

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡38)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

清朝高官や知識人との間で交わした緊張した会話を記すだけでなく、岡は自らが歩き、眺め、体験し、心に映じた北京の街の佇まいを綴っている。そのいくつかを拾っておくと、

 

――雨が降る。ゴミ捨て場同然の道路には水が溢れ、このうえなく穢い。街路には雑草が生い茂り、大きな建物は崩れ落ち、惨憺たる有様だ。かつて栄華を誇った皇都も無残極まりなし。郊外に出ると、道路はガタガタで補修すらされてはいない。「亦、其れ宜なる也」(10月31日)――

 

――「路人(つうこうにん)」は我が着物姿を奇異に感じ、前後を取り囲む。ボロを纏った乞食が離れずに後からゾロゾロとついて来て、「お恵みを」とせがむ。まったく堪ったものではないから、車に乗って立ち去ることにした。(11月1日)――

 

――街を囲む城壁はボロボロ。真ん中が掘れて凹状になっているなど、道路の損壊は甚だしい。牛車や馬車は凹状に窪んだ道路の中央部を左右上下にガタゴトと揺れながら進み、人は道の端を歩く。乞食は真っ裸で、あるいは老人を背負い、あるいは幼子の手を引き、あるいは線香を点し通行人の足元に蹲って銭を求める。我が国でも維新前には乞食がいなかったわけではないが、こんなにも大勢の乞食の集団を見かけることはなかった。

 

この国は、なぜ、このような惨状に陥ってしまったのか。考えれば太平天国の乱の後、イギリスとフランスが北京に侵攻し、巨額の賠償金を求めた。その一方で近代化策の一環として外国との取引を目指した招商局、さらには砲兵工廠や造船局などの部局・機関を新設し、大小軍艦を購入することで巨額の費用を使わざるをえない。かくして国家予算のうちの通常経費を大幅に削らざるをえなくなったことで、城壁・道路・橋梁など壊れたままで維持管理は不可能となり、宮闕(みやい)の修繕すらままならない情況だ。一方の「細民(しょみん)」は「賭博竊盗孤寡流亡乞食」であり、かくして凡その「惡幣」の原因は官民双方の貧困にあるということだろう。

 

財政情況考えてみれば、「天の方(まさ)に蹶(みだ)さんとするに、泄泄(むだぐち)は無然(むよう)ということ、か」。

 

官民双方が貧乏に苦しんでいるというのに、骨董店が軒を並べる瑠璃廠へいってみると、高価な骨董がズラッと並ぶ。「何の用に用いるかと問えば、曰く多く權貴(こうかん)に賄(おく)る、と」。店頭に並ぶ骨董の多くは贋作であり、よほどの目利きでないと、先ずはニセモノを買わされるのがオチだ。

 

夕暮れになったので道を急いだものの、前方で車が泥中に嵌って動かない。その後に続く車馬も動かない。二進も三進もいかない。道を別にとって宿に戻る。(11月7日)――

 

岡は清国の末期的情況を現すに「天之方難、無然憲憲、天之方蹶、無然泄泄」と儒教経典の『詩経』の一節を引く。「天は災難を下そうとしているぞ。憲憲(キャッキャ)と打ち興じている場合か。天は混乱を起こそうとしているぞ。泄泄(ペチャクチャ)と無駄口を叩いている場合か」といったところだろう。だが実態からいうなら、国家や社会が危急存亡の危機に立ち至るほどに、世間では「憲憲」「泄泄」が持てはやされるようだ。

 

それにしても、骨董は「多く權貴(こうかん)に賄(おく)る」に苦笑い。かくして、またもや林語堂が頭を過る。曰く、「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち、『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」(『中国=文化と思想』講談社学術文庫)

 

「『賄賂を取る』は規則動詞」。そうです。賄賂文化は永遠に不滅なんです・・・トホホ。《QED》