【知道中国 1294回】                       一五・九・仲四

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡35)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

「萬國の道義」や「朝聘會同の義」との岡の指摘を目にした時、アメリカ初代大統領のJ・ワシントンが将来の大統領に向って与えた国策遂行上の忠告(『訣別の辞』)を思い出した。これまた些か長い引用になるが・・・。

 

「・・・国家政策を実施するにあたっては最も大切なことは、ある特定の国々に対して永久的な根深い反感をいだき、他の国々に対しては熱烈な愛着を感ずるようなことが、あってはならないということである。〔中略〕他国に対して、常習的に好悪の感情をいだく国は、多少なりとも、すでにその相手国の奴隷となっているのである。これは、その国が他国に対していだく好悪の感情のとりことなることであって、この好悪の感情は、好悪二つのうち、そのいずれもが自国の義務と利益とを見失わせるにじゅうぶんであり、〔中略〕好意をいだく国に対して同情を持つことによって、実際には、自国とその相手国との間には、なんらの共通利益が存在しないのに、あたかも存在するかのように考えがちとなる。一方、他の国に対しては憎悪の感情を深め、そこにはじゅうぶんな動機も正当性もないのに、自国をかりたてて、常日ごろから敬意をいだいている国との闘争にさそいこむことになる」(『第二次大戦に勝者なし ウェデマイヤー回想録』A・C・ウェデマイヤー 講談社学術文庫 上33~34頁)

 

岡は「萬國の道義」「朝聘會同の義」によって、J・ワシントンは『訣別の辞』によって、移ろい易い国際社会において他から侮られず自存自衛の道を守るための基本姿勢を説いているように思える。もっともその後の歴史を振り返った時、J・ワシントンの後輩たちは『訣別の辞』を学ばなかったようだが・・・殊にF・ルーズベルトとトルーマンの2人は。

 

閑話休題。

 

「此の日、終席、和戰の得失を論じ、他事に及ばず」と記しているところからして、岡と鄧は酒を酌み交わしながら、フランスに如何に対処すべきかを論じたのだろう。酒席が跳ねた後、岡は次のように考える。

 

――我が国はアメリカによる開国の要求をキッカケに、「四方(ぜんど)」が奮起した。長州藩では遂に長井雅楽を逼殺し、国論を統一して背水の陣を布いて戦いを挑んだものの、連戦連敗。そこで自らの方針が無謀であり道理に叶っていないことを悟り、国是を攘夷から開国へと一変させた。日本に較べれば「中土は大國」であり、三千年もの長きに亘って「萬國を夷視」してきた。であればこそ、現状は致し方がないともいえる。いまや戦端が開かれたが、「百城(ぼうび)は披靡(やぶ)」れ、「萬生(じんみん)」は靡爛(くる)」しむばかり。果たして「精鋭(せんし)」を錬成して自らが生きる道を会得し、鄧が主張するように内憂外患を一気に晴らすことができるだろうか。その行く末を見届けたい――

 

その後の歴史を振り返るに、「『中土の士大夫』は、史書の春秋が『朝聘會同の義』を重んじていることを理解していない」との岡の指摘のままに、清末から21世紀初頭の現在まで、およそ中国の指導者は?介石も含め、「朝聘會同の義」の真意を理解してはいないようだ。いや理解できそうにない。最近の習近平に典型的に見られるが、やはり「大国病」という宿痾(業病?)から抜け出すことは金輪際不可能のようだ。まずは処置ナシ。

 

10月18日、鄧の友人が訪ねて来たので昨日の鄧との遣り取りを伝えると、「彼は要路に当たっているが、私は無位無官の者が務めるべき『聖訓』を奉じているから、事の是非を妄りには論じない」と。そこで岡は「『論語』と『孟子』は半分を費やして『家國』を論じている。外敵が国境を侵し、国家は危急存亡の秋だ。いまこそ国事を語るのが『學の本旨』というものだろう。なんのために学問に励んできたのだ」と、どやしつける。《QED》