【知道中国 1009】 一三・十二・仲九
――「『あんまり無理しなさんなよ』とでも呟きたいところだが・・・」(里見の7)
「隣邦の今昔」(里見弴 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
日進月歩の『解放後』」の中国で、里見は、小説家の老舎の「在火車上(汽車にて)」という題の「揶揄と皮肉に満ちた抗議の一文」を目にする。
老舎によれば、汽車で困惑するのは「第一には、寝台の予約に上、中、下段の選択が利か」ないこと。「第二に食堂車の飲食物の粗悪にして価廉ならざること」。「第三に、各客車ごと、拡声器を以ってする音盤を、始発駅から終着駅まで、のべつ幕なしに放送する騒々しさ」である。わざわざ取り上げているということは、老舎の抗議に里見も賛意を示しているからだろう。因みに「音盤」とはレコードを指す。懐かしくもあるが、今や死語・・・。
寝台の上・中・下段の選択が利かないという点。おそらく新中国では人民は万事に亘って平等である。いかな寝台車であろうとも乗客を上・中・下の3段階に区別することは反人民的であるうえに反革命的行為であり、それゆえに「上、中、下段の選択が利か」ないことになっていたはず。頭の悪い人が無理をするから、そういう不合理が大手を振ってまかり通っていたに違いない。とはいえ幹部には特権がある。なにもいわなくても寝台車の下段、あるいは特別仕立ての寝台車が用意されていた筈だ。なにせ古来、「只許州官放火 不許老百姓点灯」という伝統を墨守してきた社会なのだから。
食堂車の飲食物が不味くて高いという点。はたして当時の中国で、列車に乗って高いカネを出してまで食堂車を利用しようなどという金銭的余裕を持った人民が何人いただろうか。当時そんなことができたのは、おそらく幹部か老舎のような著名人に限られていたよう思える。そこで人民は平等であるという原則に立って、ならば特権階級に労働者階級の食べ物を食わせてやれ、という食堂車従業員からの“革命教育”かも知れない。いや単純に物資不足だったとも考えられるが、常識的にいうなら食堂車の従業員たちが自分たちのために何はさて置き、いい材料で旨い料理を作って食べてしまったということだろう。なあに、客は適当にあしらっておけ、というヤツだ。上に政策、下に対策、である。
第3の騒音だが、これには里見も我が意を得たりだったらしく、わざわざ「膝を打って同感の喜びを感じた」だけでなく、自らの体験を示して、大同からの「復りの昼汽車では、十時間ちかく、耳を聾する雑音まじりの音楽に悩まされ続けた私としては、大賛成を叫びたいところ」と綴っているほどだ。
だが、ここでも里見は勘違いしている。「耳を聾する雑音まじりの音楽」の正体は、じつは人民の耳を通して脳髄に達せしめようという洗脳教育だったのだ。そう、現在の日本でいうなら英語学習のためのスピードラーニングと考えたら当たらずとも遠からじ、である。
「偉大なる毛主席、共産党が導く新中国、解放された歓び・・・」と、こんな内容が歌となってのべつ幕無しに耳から飛び込んで来たら、いつしか誰もが、そう思い込んでしまうだろう。そうするために意図的に「耳を聾する雑音まじりの音楽」を流していたのだ。無理を承知で、エンドレスで。
成都からの帰路は船中4泊の長江下り。ここでも里見は「この狭ッ苦しい船室や、不潔きわまりない上に、内からの錠が毀れていて、ノックしてあけても先客があったり、逆の場合、あまり見られたくない恰好をひと目に晒したりしなければならない便所」など、「天晴なる国賓」に対するとは言い難い対応に、密やかな苦言を吐露している。
「(国賓待遇を受けて)恐懼感激、中共万歳と渇仰礼讃のリポートを、帰国後、新聞雑誌で宣伝するにきまっているとの先方の狙いは、初めからわかった話」との同行者長与の文章を引き、「自分の目で見るよりほか、ほんとうのことはわかりっこない」と呟く。さすがに里見だ。「私をも含めての人選」は不成功だっただろう・・・イタチの最後っ屁だ。《QED》