【知道中国 1289回】                       一五・九・初四

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡30)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

じつは中華帝国たる清朝は「密封された棺の中で注意深く保存されてきたミイラ」でしかなかった。つまりイギリスは「密封された棺」の蓋を開け、清朝という「ミイラ」を外気に曝してしまった、というわけだ。これが中国近代史のはじまりである。

 

喜望峰の向こう中国(敢えて「中土」と呼びたいところだが・・・)があり、4億人近い膨大な人口が住む。だが、王朝による管理貿易体制が行なわれていて、対外閉鎖されているから外国製品を自由に販売できない。そこで管理貿易体制を打ち破って対外閉鎖を解かせるなら、膨大な人口は膨大な消費者に変じ、清朝は膨大な消費市場へと生まれ変わり、マンチェスターで大量生産された綿製品は必然的に大量消費される。圧倒的軍事力という外圧によって無理やりにでも対外閉鎖を解いてしまえば、そこは膨大な消費市場へと変わる。だからモノが大量に売れるはずだ――これがマンチェスターの綿製品製造業者の目論見だったはずであり、この考えに当初はマルクスも必ずしも異議を差し挟んだわけではなさそうだ。

 

だが、閉鎖市場を開放してみたが綿製品が売れない。確かに膨大な人口ではあったが、そのまま右から左に簡単には消費者にはならなかった。マンチェスターの経営者の当初の狙いは大外れ。一方のマルクスも、なぜ漢族は良質なマンチェスター製品を買わないのか頭を捻った。そこで中国には中国独自の、ヨーロッパとは異なる経済システムが存在するという結論に達したらしい。だが、なんのことはない。マンチェスター製の薄手のものを厚手の綿製品を常用する中国人が嫌ったことが、売れなかった大きな要因だったらしい。つまりマンチェスターの業者がマーケテイング・リサーチを怠った――これが真相ではないか。

 

マンチェスターの業者の失態もマルクスの見込み違いも興味深いが、やはり問題はマルクㇲの説くように「解体の過程」に行き着く。

 

古来、中華帝国は統治の根本に絶対不可侵で絶対聖としての「天」を戴き、根底に膨大な数の「老百姓(じんみん)」を置いた。もちろん老百姓もまた天と同じく絶対無謬である。天と老百姓は等価である。つまり老百姓の輿望を担い、天の意思を地上に実現する聖なる使命を帯びているからこそ天子、つまり天の子であり皇帝の位に就けるという理屈だ。だが、この理屈は間尺に合わない。ある人物が前王朝を倒して新王朝を創業できるか否かのカギは、軍事力によって物理的に前王朝のみならず敵対勢力を粉砕・殲滅できるか否かであり、天の意思にも老百姓の意向にも拘わらないはずだ。これを直截に言い換えるなら天の意思を己が五体に宿し、老百姓の輿望を体現している(つまり創業皇帝の位に就ける)か否かは偏に軍事力の優劣、つまり戦争に勝てるか否かに掛かっているはずだ。

 

国共内戦(1946年~49年)の帰趨を一例に考えるなら、蔣介石が人民(=天)に背いたから台湾に逃げ込まざるを得なかったわけではないし、ましてや毛沢東が人民(=天)の意思を体現していたから共産党政権を樹立できたわけでもない。単純に結論づけるなら、内戦全局を通じて蔣介石の戦略・戦術が毛沢東より劣っていた。ただ、それだけ。とりたてて歴史の必然に毛沢東が沿っていたというわけでもないだろう。

 

天が使命を与えたから王朝を開基できるわけではない。やはり戦争に勝たないかぎり皇帝たる位に就き絶対権力を掌握することは出来ないのだ。戦争に勝ったから新王朝を樹立できたはずが、至徳・至高の存在であり、それゆえに天が天子の位を授けたという理屈がデッチあげられることになる。その天を、絶対至高の天という根本原理を、人間以下の夷狄でしかないイギリスの大砲が木端微塵に打ち砕いてしまった。さあ大変だ! 《QED》