【知道中国 1284回】                       一五・八・念四

――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡25)

岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 

天津までの船旅の途中、岡が山東省の芝罘(一名を烟台)に立ち寄ると、同地を管轄する道台から贈り物が届けられた。これを「節敬」という。「中土にては公私の應酬(つきあい)に專ら虛文を事とす。節敬贅敬修敬炭敬別敬贐敬謝敬喜敬祝敬氷敬使敬賻敬有りて、敬餽(おくりもの)を以て敬意を表すの謂なり」との説明を受けるや、岡は笑いながら「なんとまァ敬の種類が多いことか」と。

 

さすがに繁文縟礼の総本家だ。岡ならずとも「なんと敬の種類が多いことか」と笑い飛ばしたくもなり、呆れ返りもする。だからこそ思い出されるのが、昨秋の北京において安倍総理との首脳会談に臨んだ折の習近平主席の不機嫌極まりなさそうなブッチョウ面だ。

 

相手を最も尊び心をこめて贈ることを節敬と表現するようだが、まさか習近平は安倍総理に対し節敬を示したとは思えない。どう考えても――いや、考えなくても節敬ではないだろう。ならば相手を侮蔑しての侮敬か。恐れての恐敬か。小ばかにしての弄敬か。自らの短慮を満天下に曝してしまった短敬か。己の愚かさを示した愚敬か。いや己の軽を露呈させてしまった軽敬か。はたまた相手を見下していることを国民に示すための装敬か。それとも爆買いに因んでの爆敬か。

 

いずれにせよ中国の人々――習近平から爆買いに奔る庶民に至るまで――に対するには敬(軽?)して遠避けるのが実利のみならず精神衛生の上からはイチバンだろう。だが、そうもいかなくなってしまった。それというのも世界がグローバル(全球)化してしまったからだ。いいかえるなら中国の開放によって世界は空前の厄介事を背負い込んだということだ。アメリカという国が行なったグローバル化は、やはり歴史的大愚行だったようだ。

 

70年代末に鄧小平によって改革・開放路線に踏み切ってから89年の天安門事件発生直前までの20年間ほど」、アメリカの対中政策の基調は「中国期待論」だった。その骨子は、

 

①経済発展を促すことで中国の民主化は達成される。

②民主化に向かう中国を世界安定ゲームに参画させ主要なプレーヤーに育て上げることで、民主主義国家との協調を図る。

③環境、生活・教育格差など社会的大問題を抱えるから、中国は依然として脆弱である。

④中国はアメリカを羨望しを持ち、将来的にはアメリカのような国家を目指す。

⑤愛国主義・民族主義的勢力は存在するが、脆弱であり過大に考えるべきではない。

 

おそらく我が外務省の中国政策も強弱の違いはあれ、これに類するものであったように思う。だが、思惑は大外れ。大前提の大前提である①が全くの思い込みでしかなかったことを、天安門事件以後の中国が満天下に示してくれたのである。カネ持ち喧嘩せず、ではない。カネを持ったら身勝手な行動だ。おそらく爆買いも同類だろう。これが彼らの流儀だということを、世界は肝に銘じておくのがよい。

 

激浪に悩まされながらも天津に到着した岡の許を、花岡なる日本人が訪ねる。清朝皇帝の夏の離宮がある熱河を、彼は前年に歩いたとのこと。そこは長城以北の朔北の地。やはり風土・人文は「中土」とは違った。そこで岡は花岡の話に耳を傾けることになる。

 

「木は一本も見当らず草ばかり。冬の暖は馬糞で取っております。『土人』は字を知りません。地名は『先生(やくにん)』に訊けってわけです。字を書くと周りに寄って来て驚くやら騒ぐやら。だいたいヤツラは日本が何処のどんな国か全く知りません。地図で示してもチンプンカンプン。『愚鈍』そのもの。とはいえ体だけはデカく頑丈そうで、髭なんか立派なものです。原野を突っ走って猛獣と格闘し、肉を喰らって獣の皮に寝る。豪気で筋骨隆々。『中土の人』とは大いに違いますな」・・・六経なんてクソ喰らえ、である。《QED》