【知道中国 1013】     一三・十二・念七

 ――「新中国には殆ど『無駄』なるものが存在しない・・・」(宇野の4)

 「忘れ難き新中国」(宇野浩二 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 作家、大学、公私合営について記した後、宇野は「いづれにしても、これらは有り難い事というべきであらうか」と呟きてみせたが、有難いわけがないだろうに。

 さすがに宇野も、些か感じるところがあったのだろう。「私自身の独断的な考へ」と断わりながらも、「これらは有り難い事」とは「簡単に思へないのである」と綴った後、次のように続ける。

 「『統制』といふ事は、或る種の国にとつては、この上もない有利なことで、その国を押しも押されぬ国とする方法であるらしいが、それは近頃、多くの人に褒められてゐるらしい、しかし、私は、いかなる制度の国でも、作家が、新中国のやうな方法で、生活を保証されたら、その作家は、まづ、空想の余地をうばはれ、自分の思ふ事が書けなくなつて、限りなく窮屈にならうからである、これでは、まつたく作家の立つ瀬がなくなり、作家の命より大事な創作が出来なくなるであらうと考へるのである」

 だが新中国は、毛沢東の文化政策・文芸理論によって貫徹された国である。異国の文人である宇野による「私自身の独断的な考へ」なんぞを聞く耳など持ち合わせているはずもなかった。当たり前すぎることではあるが。

 宇野は新中国では、「何も彼もが、ゆったりしてゐて、途方もなく大きい事」「伝統を大へん大切にしている事」「殆ど『無駄』なものが存在しない事」に感心している。だが無駄がないために、「私のような安易な生活をしてゐる者には」困ったことがあるとして、「真にさもしい話であるが、懐紙を殆ど絶対に売つてゐない事、(これには鼻風をひいた人たちが困り切つてゐた)、」、「共同便所の大きな方(主として婦人が必要な方、)に屋根も扉もない事、その他、等、等、等である」と例を挙げているが、「その他、等、等、等」がいったい何であったのか、知りたいところだ。

 「懐紙を殆ど絶対に売つてゐない」のは、やはり物資不足だったからだろう。経済成長著しい現代では、よほど田舎にでも行かない限り、紙の質はともかくもトイレットペーパーは手に入る。だが「共同便所の大きな方(主として婦人が必要な方、)」に関しては、宇野訪中から60年ほどが経過した現代でも大きな変化はないと、敢えていっておこう。そういえば数年前に河北省一帯を旅行した際、こんな経験をしたことがある。

遵化郊外にある清朝皇帝一族の墓域で知られた東陵で、何気なく厠所(かわや)の方に目をやると、屋根はあったが扉のない「共同便所の大きな方(主として婦人が必要な方、)」で若い女性たちがお務めの最中だった。見てはいけないものを見てしまったと、こちらはドギマギ。だが彼女たちは顔をこちらに向けて――つまり一人ずつの仕切りはあるが扉はない――正々堂々と・・・。いやはや宇野ならずとも、「その他、等、等、等」である。

 さて話を宇野に戻すが、「人に聞いた事ばかりであるから、まちがつてゐる話が多分にあるかもしれない事を、前もつて、お断りしておく」と前置きしながら、日本からの仲間の中国の街での感想を列記するのであった。

 「タクシイがないね、」「キャバレエなど殆どないやうだね、パチンコなどは、おそらく知らないだらう、」「夜遊びなどもないらしいよ、」「特別の場所のほかは、あまり夜あるきしないらしいね、」「夜になると、町に酔つぱらひが歩くのを禁じられてゐるらしいね、」「解放前の中国に来た人は、・・・色とりどりの綺麗な服装をしたシナ服の女たちが行き来してゐた時分は、どこへ行つても美しかつたが、今は、……と云ふやうだね、」などと「人に聞いた事ばかり」を列挙した後、「さういふ考へ方は今の新中国には、まつたく通用しないんだよ、」と。さすがの宇野も戸惑いを隠さず、「今の新中国」を扱いかねているようだ。《QED》