【知道中国 1214回】                       一五・三・仲四

――「右顧左眄頭ヲ垂レ糞ヲ尋ヌ糞山溺海・・・」(曾根13)

曾根俊虎『北支那紀行』(出版所不詳 明治八・九年)

その「其狡猾惡ム」べき一例だが、ある村落まで船を進めると、「最初に手渡した費用では、もう先には進めない。いま6元を支払わなければ先には進まない」といって、舟子(せんどう)が櫓を漕ぐのを止めてしまった。そこで最初の話と違うじゃないかと叱り飛ばしながらも「二元ヲ與へ放舟セシメタリ」。かくて曾根は「其狡猾惡ムヘシト雖モ是レ舟子ノ風習ニシテ亦敢テ深ク尤ムニ足ラサルナリ」と述懐している。まあ、相手の足元を見透かしてのブッタクリだが、これもまた「舟子ノ風習」と諦めるしかないのか。

 

あるところで休息していると、「不潔ノ土人來看スル者堵ノ如ク拾糞人ノ糞籠ヲ擔フテ四方ヲ圍ミ、甲去レハ乙來リ、孩童ノ滿頭ノ虱白ヲ抹スルアリ」と。物見高いは中国人の常とはいうものの、何処とも判らない田舎町で、「不潔ノ土人」に「糞籠ヲ擔」う拾糞人、頭が虱だらけの子供、ヨチヨチ歩きの纏足女――これだけの人々にワッと取り囲まれたうえに、「嘖々(ピーチクパーチク)トシテ嘈雜(うるさいこと)尤甚シ、加ルニ天熱シ穢ヲ送リ臭來シ其厭フ可キノ狀實ニ筆舌ノ盡ス可キニ非ス」。もはや我慢の限界を超えている。

 

3つの「い」――穢い・臭い・五月蠅い――に加えて難儀なのが水だ。水を飲もうと路傍の水売りから買い求めると、「緑色ヲ帶テ臭氣アリ」というからさぞや気持ちが悪かったはず。現在の中国では環境の劣化が甚だしく河川や湖沼が緑色や赤色に染まったなどと報じられるが、日清戦争までまだ10年ほどもあるという時代に、中国内地では「緑色ヲ帶テ臭氣アリ」の水が売られていたというのだから、やはり考え込んでしまう。やはり中国人には環境などという考えは、端っからなさそうだ。

 

物見高いといえば、ある「穢塵殊ニ甚シ」い村の宿で夕食を食べていると、「土人來看スル者多ク坐ニ坌入シ、殆ント食事ヲ妨ケタリ」。相手が食事中であろうがお構いなし。ワイワイガヤガヤと曾根を囲んだわけだ。この時、曾根は中国服を身に着けていたから、自分では中国人に見られていると信じ込んでいたらしい。だが、当たり前のことだが、中国服を着たからと言って日本人は中国人にはなれない。とっくに日本人だとお見通しだった。かくて「土人來看」した結果、五月蠅いやら煩わしいやら。ともかくも不味い夕食が終わって粗末極まりない板の床に就くと、「時ニ破窓ヨリ頭ヲ出シテ窺フ者アリ」といった情況。

 

曾根は悪戦苦闘の大旅行を、次のように“総括”している。

 

①:「皆廉耻已ニ絶エ民心殆ント離レ、土人黠詐ヲ尚ヒ唯自己ノ利ヲ計ルニ汲々タルノミ、嗚呼宜ヘナル哉滿清ノ振ハサルヤ、思フニ是レ變換ノ勢ヒ來ル遠ニ非ルノ由縁ナルカ」

――すでに廉耻の心など誰も持っていない。民心は清朝から離れ、中国人はウソ・デタラメばかり。頭の中にあるのは自分の利益だけだ。こんなことだから清朝の弱体化は当然であり、そう遠くない将来、必ずや世の中はデングリ返ることになる――

 

②:「(山東省は)政体稍存シ風尚樸素ニシテ兵備仍ホ張ル(中略)ト雖モ大廈ノ覆ル一木ノ能ク支ル所ニ非ス、嗚呼區々タル一省ノ山東豈能ク四百余州ノ衰運ヲ挽回スルヲ得ンヤ、東洋慷慨有志ノ徒早ク茲ニ注目シ碧眼ノ猾賊ヲシテ變ニ乘シ毒鋒ヲ亞洲ニ逞ウセシムルヿ勿レ若シ治ニ歸セハ則チ合心合力東洲ヲ振ハシ西洲ヲ壓スルノ急務ヲ策スヘシ」

――ややマトモとはいえ山東省だけでは衰退する中国を救うことはできないことに、「東洋(にほん)」の「慷慨有志」の士は、深く思いを致すべきだ。狡猾な西欧の賊徒による清朝の変事に乗じてのアジア侵略の野望を挫くべし。中国が安定した暁には日中双方が「合心合力」して早急にアジアの振興を図り、ヨーロッパを圧する策を講ずべきだ――

 

曾根は「東洲ヲ振ハシ西洲ヲ壓スル」ために日中双方による「合心合力」が急務だと語るが、後の歴史に照らしてみるなら、それは儚い理想、いや夢想・・・何故。《QED》