【知道中国 1213回】                       一五・三・仲二

――「右顧左眄頭ヲ垂レ糞ヲ尋ヌ糞山溺海・・・」(曾根12)

曾根俊虎『北支那紀行』(出版所不詳 明治八・九年)

19世紀60年代から70年ほどが過ぎた1935年、林語堂は英語で書いた『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』(邦訳を『中国=文化と思想』講談社学術文庫 1999年)をニューヨークで発表しているが、そのなかで「たとえ共産主義政権が支配するような大激変が起ろうとも、社会的、没個性、厳格といった外観を持つ共産主義が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見分けがつかぬほどまでに変質させてしまうことであろう。そうなることは間違いない」と確信をこめて予言していた。

 

同じく『中国=文化と思想』において、林語堂は「中国語文法における最も一般的な動詞活用法は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」とも綴っている。

 

西湖の破れ寺で僧侶が「時態ノ變遷ハ悲痛ニ堪ヘザルナリ」と嘆いてから現在まで150年ほどが過ぎ、共産党政権の時代になって66年が過ぎた。だが、相も変わらず「廟堂肉食ノ官員苛酷聚斂ヲ以テ偏ニ我ガ利ヲ求メ我ガ欲ヲ貪ルニ因リ賄賂盛ニ行ハレ」である。

 

この間、「為人民服務」を掲げた毛沢東の時代が30年ほど続いたはずなのに、「廟堂肉食ノ官員」の跳梁跋扈は度を超すばかり。ということは毛沢東の政治とはいえ、結局は「古い伝統を打ち砕く」ことはできず、林語堂が確信を持って予言したように、「古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見分けがつかぬほどまでに変質させてしま」った、ということだろう。であればこそ、習近平政権が“不退転の決意”で推し進めていると伝えられる不正摘発・腐敗厳罰の政治も、やがては粉砕される可能性は大だ。

 

それにしても、流石に文字の国である。「肉食ノ官員」とはズバリ。絶妙な表現といえる。

 

ところで、先ごろ春節海外旅行で日本のみならず世界各地で猛威を振るった「爆買」にしても、果たして「古い伝統」なのか。それは不明だが、少なくとも昨今話題の中国人の海外移住は合法であれ非合法であれ、「廟堂肉食ノ官員」による莫大な隠し財産を持ってのそれであれ、すべてこれ「古い伝統」の復活と見做して間違いない。これは確信を持って断言できる。かくも根強く骨絡みの「古い伝統」。呆れ果てるしかない。

 

『北支那紀行』に戻ることとして、いよいよ後編に入る。

 

明治9(1876)年4月、曾根は小舟を雇って上海を出発する。江南に延々と続く水路を縫って北上し、山東省を抜けて天津へ向かう旅だった。

 

兵要地誌のための地理・自然環境・軍営などに対する観察は愈々精緻になるが、相変わらず悩ましいのが旅館の劣悪さだった。「飯又黑色ヲ帶ヒ菜ハ豚肉多油ニシテ臭氣アリ、食房椀箸等ノ不潔實ニ名狀シ難キノミナラス、更ニ定厠無ク、人畜各意ニ任セ隨所ニ兩便セリ、是レ清國内地一般ノ風習ナリ」と。便所というものがない。人畜共に催したい時は随意の場所で、大小便を垂れ流すということだろうが、最早、なにを言ってもはじまらない。

 

こういった惨状を前に、曾根は「我輩ハ此ノ如キ客況ニ堪ヘ、艱ヲ蹈ミ險ヲ冒スヿハ即今ノ職務ナレハ、亦別ニ辛苦ヲ説クヲ要セス」と、じつに“健気な決意”を披歴するものの、やはり痩せ我慢の感なきにしもあらず、である。

 

旅先で知り合った中国人が別れに際し、餞別だと言って卵や茶葉を持ってきて歓談の後に、「再會ヲ期シテ退歸」した。よほど感激したのだろう。曾根は「實ニ此輩ハ支那人ニハ奇特ナル人物ニシテ傾蓋ノ友情アリシヤ我輩亦深ク別ヲ惜ミタリキ」と。

 

「奇特ナル人物」は極く少数。「其狡猾惡ム」べき人物には事欠かないはずだ。《QED》