【知道中国 1211回】                       一五・三・初八

――「右顧左眄頭ヲ垂レ糞ヲ尋ヌ糞山溺海・・・」(曾根10)

曾根俊虎『北支那紀行』(出版所不詳 明治八・九年)

中国人と韮やニンニクの関係に、曾根のように激しい嫌悪を示すか。はたまた青木のように前向きに捉えて鷹揚に構えるか。味にも臭いにも個人的に好き嫌いがあるから、どちらが正しいとも間違っているともいえない。だが、中国人と付き合う以上は青木のように身構えるのがいいように思えるのだが。

 

『北支那紀行』は前篇を閉じるに当たり、曾根は地勢・民俗・言語などの項目を立てて自らの見聞を改めて綴っているが、興味深い項目を拾っておきたい。

 

■満州人について:

満州において「滿州人種」は清朝治下の「太平ノ澤ニ浴シ支那人ノ風習ニ流染シタル人民」になってしまい、文字も言語も「元來ノ滿語滿字ヲ用フヿ無ク」、いずれは「硫酸ニ銅ヲ浸シタルガ如ク」に「必ス遠カラスシテ消絶」するだろうと予測する。

 

■朝廷の泣官について:

「皇帝ノ喪アル毎ニ哭泣スルヲ爲ス」者であり、全満州から選ばれて学校のようなものに入れて「哭泣ヲ學習セシ」めるが、20歳を過ぎてもマトモに哭けないヤツは退学となる。「好ク泣ク者ハ其聲一里餘ノ外ニ聞」こえるほどで、皇帝といえども祖先の霊廟に詣でる際は、泣官の指示に従って東を向いたり西を向いて泣くとか。「此官ニ就ク者多ク榮進スルニ至ル」そうだ。

 

■その後の棺について:

「上等人ノ棺櫃ハ大概荒原ニ置キ或ハ埋ムルモ有リ埋メサルモアリ」。そこで埋葬されずに置かれ時間が経過した場合は、「棺朽チ腐躰出テ烏鳶ニ啄マレ狗狐ニ食ラハル」。中等以下は「定リタル埋葬地無ク城門ノ内外或ハ壁下ニ投シ又屋後或ハ路上ノ隅ニ置キ更ニ埋ルヿ無ク各人之ヲ蹈モ怪マス豚犬之レニ溺スルモ嫌フヿ無ク馬牛之レニ糞スルト雖モ忌マス」というから、悲惨の極みとしかいいようはないようだが、上には上、いや下には下があるようだ。つまり「棺朽チ白骨見ルヽニ及テ然ル後泥土ヲ塗リ以テ之ヲ藏スモアリ」。

 

「是レ北地一般葬埋ノ風習」とのことだが、結果として「城壁直下ト諸街後部」というから城壁の基底部分や街路の奥まった所には、「必ス棺櫃縱横シテ外國人ヲシテ眼ヲ病マシメ心ヲ痛マシム」。それだけではなく、「炎天ニ至レバ其臭氣諸溝ノ醜氣ニ交リ大ニ數多ノ人命ヲ害スルノ勢ニ至ルナリ」と。

 

それにしても凄まじい。昨今はPM2・5なんぞで大騒ぎしているが、当時の方々にかかったら子供騙し。まるで「屁」のようなもの・・・では。

 

■鴉片毒煙について:

「上天子ヨリ下庶人ニ至ル迄盡ク之ヲ吃シ一醉万病ヲ癒スト公言シ」、役所の応接室にまで鴉片吸引設備が設けてある。いつでも、どこでも鴉片を吸引しては「夢ノ如」く。「顔色憔衰」するだけでなく、体は枯れ枝のようになっても「樂世ニ成佛スト云フノ態」である。

 

高官や豪商は鴉片吸引用のキセルに贅を尽くし、金や銀の象嵌作り。兵卒なんぞは俸給を手にしたら鴉片宿へ直行する始末。かくて「氣力ヲ失ヒ」、全く役には立たない。貧乏人の場合は、「衣汚ルモ洗ハズ面垢クモ拭ハズ友死スモ顧ズ子死スルモ葬ラズ父母病モ藥ヲ勸ムルヲ忘レ」て、ひたすら鴉片を「愛弄シ房屋諸々器等ニ至ル迄盡ク並呑スルモ尚厭カズ妻或ハ娘ヲシテ淫ヲ賣ラシメ以テ吃煙ノ費ニ供シ」というから、消費量は莫大。かくて外国からの輸入だけでは賄いきれず、満州といわず「内地亦徃々煙草ヲ種ヘテ以テ自ラ製造スルニ至レリ」。なんともはや「甚シヒカナ毒煙管ノ盛勢ナルヿ」である。

 

家庭を破壊し、全身が毒され、廃人と堕しても尚・・・凄まじき哉、煙毒よ。《QED》