【知道中国 1019】 一四・一・初七
――「中国政府はなぜこれほど金持なのだろう?」(本多の5)
「重慶の印象」(本多秋五 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
重慶のホテルの「女従業員というより女の子といった方がぴったりする。いかにも素人っぽい少女たち」に“籠絡”された本多は、さら重慶近郊の覃家崗郷の農業合作社で本格的に洗脳されてしまう。重慶のホテルは洗脳の小手調べ、農業合作社が本格工作の場だったのかも知れない。
合作社とは農村集団化の一環。50年代初めから互助社、初級合作社、高級合作社、人民公社と4つの段階を経て最終的に農村の社会主義化・共産主義化を目指そうというもの。58年に始まった大躍進で生まれた人民公社は、80年代初頭に経済開放の障害になるとの理由から鄧小平の手で解体され、毛沢東が夢想した農業の集団化=社会主義化は惨憺たる終幕を迎えたわけだが、それは後の事。
さて本多は、覃家崗郷の農業合作社の責任者(社長)から、国民党が支配していた「解放」の前と共産党政権下の「解放」の後における「農民生活の変貌について詳しく説明して」もらう。その内容は、「小作料について、税金について、農民の食いものについて、着物とふとんについて、文盲と学校教育について、育児と結婚について」、さらには合作社の経営と将来計画についてなど、である。
「私はそれらの話を冷淡にきいたのでなく、とくに懐疑的にきいたわけでもなかった。熱心に傾聴したといってよかったと思う」のだが、本多は「しかし、それらが初めのうちは、どうもピンと来なかった。頭に入っても、腹にも胸にも格別こたえなかった」と記す。さらには、土地改革以前の大地主の収入の多さや土地改革によって農民が得た土地の広さを説明されても「それをウソとおもうわけは勿論ないが、信じるという状態にはなれなかった」と“素直”に告白した。ということは、まだまだ正気、つまり洗脳の効果は挙がってはいなかったということだろう。
ところが、である。「合作社の社長が、ここでは『解放』前には一毛作であったのが、『解放』後には三毛作ができるようになった、といったとき、私の中で急に何かが目覚めた」そうだ。「急に何かが目覚めた」のではなく、正確に表現するなら洗脳効果が現れてきた、というべきではないか。
社長の説明によれば、一華畝(日本の6.2畝弱=6.67アール)辺りの収穫量が、モミは「解放」前の350斤(1斤は約600グラム)~420斤が「解放」後は800斤~1050斤へ。野菜は3200斤~3500斤が平均で9000斤、多い時には11000斤へと飛躍的に増加したという。この話を聞いた本多は、「改めて耳を傾けることができた。二倍から三倍に近い増収だからである。あまりに飛躍が大きすぎるからである。そして、これは私のひとり合点かも知れないが、そこのところで『中国政府の富の秘密』にふれる思いがした」と頻りに感心してみせる。
「解放」を挟んだ前と後とで農業の生産性に歴然たる違いが生じたという社長の話が本当なら、「解放」は高性能な化学肥料など遥かに及ばないほどの効果を持つ、いわば最高の肥料ということになる。だが常識で考えて、政権が国民党から共産党に変わったというだけで、しかも僅か数年間の時間差で、そんなバカなことが起ころうはずがない。こんな政治宣伝を真に受ける本多のような手合いを「愚にあらざれば誣なり――本人がバカか、そうでもなかったら余ほど世間をバカにしている」というのだ。もちろん、本多の場合は前者だろう。俗にバカにつける薬はないというが、悧巧を装ったバカほど厄介なものはない。
かくして本多は、「われわれは、こんどの旅行の途中、中国政府はなぜこれほど金持なのだろう? と一度ならず話し合った」といいだす始末・・・嗚呼、洗脳工作は大成功!《QED》