【知道中国 1020】     一四・一・初九

 ――「中国政府はなぜこれほど金持なのだろう?」(本多の6)

 「重慶の印象」(本多秋五 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 「たとえそれが低賃金を前提にしたものであるにせよ、とにかく、完全雇傭が行われている」「大学は金のないものでも能力と意志さえあれば行ける」「教育を受けたものに就職難はない」「(幼稚園や託児所から大学まで)いろいろな種類の学校をどこへ行っても建てている」「工場を建てる」「寄宿舎を建てる」「病院と療養所を景色のいいところ、空気のよさそうなところ、いたるところに建てている」「新しい鉄道を敷き、大きな水利事業をおこし、全国いたるところに道路を開発し、よくも植えたりと思うほど、その両側に並木を植えている」「おまけに古社寺の修復までやっている」「東北や北西へは行けなかったが、あの地方ではもっと大がかりな建設が進められているらしい」と中国を”絶賛”した後、本多は、日本では「なぜそれができないのだろうか?

 どうすればできるのだろうか? 社会党はなぜそれを真剣に考えて国民に徹底的に訴えないのだろうか?」と「素人論議」を続ける。控えめに「素人論議」などと表現しているが、それこそが無駄口の類。まさに「素人論議」そのものだ。


 やはり本多は想像力というものを全く持ち合わせていない。加えて中国側の洗脳工作は完璧。ならば、相手に吹き込まれたままの頭で帰国し、メディアを賑わせたり、講演に飛び回りながら、新しい中国は旧い中国とは全く違う。上は毛沢東から下は労働者・農民に至るまで”上下心を一にして”国家建設に邁進している。バラ色の国家だ――などといった駄法螺を吹きまくり、ヨタ話を撒き散らし、中国への”誤解”を誘ったに違いない。

 ここで些か道草を。これまた香港留学時の思い出である。

 大学院の隣の研究室に入っていた廖さんは広東人で1年先輩。中国の近現代政治を専攻していたように記憶している。時折、気の合った仲間と数人と連れだって昼飯を食べに行ったが、食事の席で中国とソ連の国境紛争に話題が及んだ。「中国はスゴイらしい。日本で報道されているところでは膨大な数の民兵が長い国境線を守っていて、全員が最新式の銃で武装しているそうだが、これならソ連が戦争を仕掛けてきても打ち負かすことが出来るはず。毛沢東の指導力はスゴイ!」と口にすると。間髪を入れずに廖さんは厳しい口調で、「お前はバカか。常識を働かせろ。常識で考えてみろ。中国に民兵が何人いると思ってるんだ。億単位の民兵全員にマトモな銃を持たせることができるほど、中国の軍需産業は発達していない。工業力は劣るのだ。自転車だってまともには造れないんだ」と。

 ものはついで、である。そこで自転車の思い出を。

 香港生活の大半を過ごした沙田の下宿の管理人の曽ばあさんは、元は香港島の金持ちの家で女中をしていた。女中仕事が覚束なくなり、ご主人の温情で彼の田舎の家作(つまり私が下宿した家)にタダで住まわせてもらっている。当時、私と映画関係の仕事をしていた林兄弟の3人が払う下宿代が日々の彼女の生活費だった。

 ある日、広州の姪から手紙が来た。彼女は字が読めない、書けない。それで代読・代筆を仰せつかったわけだ。姪の手紙は「おばさん、職場が遠すぎて困っています。自転車が欲しいのですが数が極めて少ないうえに超高価で、私の給料では買えません。どうか窮状を察して・・・」。暫くするとまた手紙。「おばさん、先日は有難う。お陰様で快適な通勤をしています。またまたお願いですが、義母は余命いくばくもありません。生きているうちに棺を用意したいのですが・・・」。ここまで読んで聞かせると、曽ばあさんは「バカをいっちゃあ困る。私にだって棺を買う余裕なんぞないんだから・・・」とゴ立腹。

 廖さんの話も曽ばあさんの家族愛も、共に本多訪中の13,4年後のこと。彼らの話が物語る庶民生活から中国を考え直すべきか。本多を信じるのか。断然、前者だろう。《QED》