【知道中国 1200回】 一五・二・仲一
――「弟姓源、名春風、通稱高杉晋作、讀書好武」(高杉6)
高杉晋作「遊淸五錄」(『高杉晋作全集』昭和四十九年 新人物往来社)
■上海における賞罰の權、盡(ことごと)く英佛貳夷に歸すと聞く。信なるや否や。
- 英仏はただ英佛士民を管理するのみ。本國事務なるは本國の官、処理す。
■(上海)城外の地、盡く英佛の管する所なるか。
- 北門外は英仏に帰属するも、その外の地、本朝に隷属す。
- 弊邦(しんこく)、孔聖を以て依帰(たより)と為す。貴處(きこく)、何の教えを尊崇す。士を取(えら)び官と作(な)すに詩文を考試(ためす)や否や。
■我邦(にほん)にては孔聖を貴(とうと)ばざる無きなり。別に天照太神有りて、士民皆奉じて尊崇す。次いで貴邦の孔夫子に及べり。士を取るは多く武を以てし、故に我が邦は武を以てす。〔中略〕人を教えるに忠孝の道を以てするに、天照太神と孔夫子に異なること有るに非ざるなり。故に我が邦の人、天神の道に素(ありのまま)にして孔聖の道を学ぶ。
■貴邦とオロシャと和親最も好くす。近世の事情は如何。
- オロシャ国、弊国と通商し在(お)いて我朝(しんちょう)に厚恩を感ず。助兵助餉之擧(すけだち)ある所以なり。和親の説、想うに斉東野人(マヌケでトンマ)の語るところのみ。
■口に聖賢の道を唱え、身は夷狄の役所(こまづかい)なるは斉東野人なり。真の斉東野人なるか。嗚呼、浮文空詩(しぶんをもてあそぶ)、何の当(やく)にか足(た)たん。目に一丁字無き兵卒、歎くべし、憂うべし。
■軍兵を操錬するところ、我、以為(おもう)に多く威将軍の兵法たり。或は西洋の銃砲陣法を学びしや否や。
- 閣下、多く兵法を知る。而して此の地の招募する所の郷勇(へいし)は農民多し。現有の英仏二国は中国銃・外国砲の銃砲を慣用し、賊の寒膽(きょうふ)を見(あら)わすに、軍威、大いに振う。
■貴邦、外国との和親、最も好きは何国ならん。
- 現在、英仏二国が最も総(ちか)し。以下、小国は少なからずも、詳細を知らず。交易、本は往来(ゆきき)なり。現(いま)、軍兵共に中外に會勦(てきのせんめつ)を議(はか)る。名付けて「會防の局」と謂う。
■嘗て聞く。貴邦、オロシャと和親最も好く、又貿易多く陸路に於ける。信なるか否か。
- 和親、絶えることなく、毎年、北口外にて交易す。
■北口外なる、何州、何(いずれの)地なるか。
- 州名無く、地名無し。乃(すなわ)ち、オロシャとの境なり。
■(別離の記念にと揮毫を贈られ)弟、歸郷の後、此の記(もじ)を壁上に題(かか)げ朝夕閑讀(もくどく)し、以て鬱屈の氣を發(はら)す可し。海外に知己を得るは、殆ど夢の如し。
- (返礼にと、高杉が日頃愛用の硯を贈ると)閣下を知己と為すは亦一生の大快事。何ぞ敢えて再び厚賜を承けん。況や此の硯、大兄常用するところなりて、此の物、亦甚だ珍(とうと)し。弟、其の人を得ざるを恐るも、之を却(かえ)さば、恐らくは不恭之誚(ひれいのそしり)を踏まん。謹んで拝謝致す。
「海外に知己を得るは、殆ど夢の如し」との筆談を交わしてから5年後の明治改元を目前にした慶応3(1867)年、高杉は病に斃れる。この5年の間、肺疾に悩まされながらも倒幕に向け、獅子奮迅の戦いを続けた。「嗟日本人因循苟且、乏果斷」。享年27歳。《QED》