【知道中国 1021】 一四・一・仲一
――「中国政府はなぜこれほど金持なのだろう?」(本多の7)
「重慶の印象」(本多秋五 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
単刀直入にいうなら、当時の日本文壇でどれほどの影響力を持っていたかは知れないが、本多は、想像力というものを爪の先ほども持ち合わせていなかったと断言しておきたい。何度でもいっておく。やはり、呆れ返るほどにノー天気なのである。
あれほどの広さに、人が溢れかえっている中国ならば、常識で考えて失業者ゼロが達成できるわけがない。能力と意志があったって大学に行けない若者はゴマンといておかしくない。目の前の情況を限りなく拡大すれば中国全体になるなどと考えからこそ、大誤解を招くのだ。ましてや中国社会は政治的・経済的にはもちろんのこと、生活文化や民族構成からいっても均質・同質ではない。同じ漢族といっても省から県・郷鎮レベルまで、行政単位が違ってしまえば《生き方》《生きる形》も違う。ましてや行政単位では括れない、いくつかの行政単位に跨る生活圏も存在し機能している。
本多訪中から半世紀ほどが過ぎようとしていた2010年当時ですら、「最西端の最も貧しい地域に、東部に集中する中央政府当局が発した政策や命令が到達するには、二〇年以上もかかった。生活条件の改善にも同じだけの歳月がかか」り、「貧困地帯の公務員は教育水準が低くて、法的自由に対する関心も薄く、政府の運営する施設だけをやみくもに尊重する傾向があ」り、「小さな町はよく知られる大きなモデル都市と比べて、一〇年、二〇年、三〇年と後れをとっている」。これが『中国最後の証言者たち』(欣然 ランダムハウスジャパン 2011年)が伝える現実の中国の姿なのだ。
要するに、中国は余りのも多様な社会の集合体といってもいいのかもしれない。であればこそ、想像力の翼を目いっぱい広げて俯瞰する必要があるはずだが、なんせ本多には肝心の想像力が欠如しているのだから、もはや何をかいわんや、である。
本多のノー天気ぶりを論って四の五のいっても仕方のないことではあるが、当時、中国に招待された日本の知識人と称する亜インテリ・堕インテリの精神のブザマさ、いいかえるなら中国側の洗脳工作の巧妙さを、本多を一例として振り返って置く価値はあるだろうから、もう暫くお付き合い願いたい。
「中国では、あらゆる企業が国営か公私合営だ、公私合営の企業は利潤の四分の一が資本家にあたえられ、四分の三は政府の収入になるという、あれらの全国の企業からあがる収入は莫大な額にのぼるだろう、という説が出た」と、おそらく中国側の説明のままにサラッと書いたのだろうが、やはり考えるべきは公私合営という政策であり、その政策を経営者たちがどのように受け入れたのか、であろう。
当時、共産党政権は社会全般の社会主義化を進めていた。農村における合作社を軸とする集団化に呼応する形で都市部で実行されたのが公私合営政策である。公私合営などといえば聞こえはいいが、実態は経営者から企業(大企業から街角の商店まで、大工場から町工場まで)を取り上げてしまう代償として、「定息」と称する配当金を与えることでチャラにしてしまおうという実に身勝手極まりない政策、いわば独裁権力による富の収奪なのだ。
この政策をやや戯画化して表現するなら、共産党政権としては一銭、いや一元一角の元手を払うことなく、中国に存在する全ての私企業を手中に収め、その収益の4分の3を握ることができる。一方、大企業経営者から街角の商店主まで、一括して資本家と分類された彼らは営々と築きあげてきた一切をタダで政府に巻き上げられてしまうわけだ。どう考えても、こんなにも理不尽でワリの合わない話はないだろう。だが、この“取り引き”を拒否したら、待っているのは土地改革で地主が味わうことになった恐怖でしかない。
かくて資本家は「昼間はカネや太鼓で大騒ぎ、夜は涙に泣きぬれる」ことになる。《QED