【知道中国 1192回】                       一五・一・念七

――「支那之衰微、押て可知候也」(中牟田5)

「上海行日記」(中村孝也『中牟田倉之助傳』大正八年 中牟田武信)

某日、幕吏はオランダ公使の許を訪ね、千歳丸による渡航の当初目的である上海港での貿易の可能性について打診している。石炭やら人参やら、持参した品々が当初の目論見と違って売り捌けそうにない。オランダ側は値引けば売れると助言するが、長崎の相場に較べ安すぎる。かくして、持ってきたものをそのまま持ち帰るしかなかった。残念ではあるが、これが国際貿易の現実だったのだ。

 

某日、道台がオランダ公使を訪問するというので、日本側はオランダ公使の許に出向き、道台と会談することとなった。そこで中牟田の記録に基づいて、その場の遣り取りを再現してみたい。なお●は幕吏、■は道台で、それぞれの話を簡略に現代語訳。中牟田の評語は原文のままとし《 》で括っておいた。

双方の挨拶終わると、

 

■過日は当方をお訪ね戴きながら、返礼が遅れ申し訳ない。

《呉道台の挨拶也。辭令巧妙、先を越されて幕吏聊か狼狽の氣味あり》

  • 過般は一同過分な饗応に与り感謝致します。

■商売の手応えは如何ですか。

《探らるゝ質問なり。幕吏受太刀となる》

  • あまり捗々しくありません。

■ともかくも初回でもあることですし・・・。

《質問益々鋭利、受太刀もしどろもどろとなる》

  • 帰国後、政府に報告したうえで再度の訪問もありますので、その旨をお含み願いたい。

■持参された物資は残らず捌けましたか。

《追窮少しも緩まず。幕吏赧顔の至りなり》

  • 残らず捌くつもりでおりましたが、いまだ所期の成果を挙げてはおりません。

■上海には何時頃までご滞在で。

  • 未定。日本人には芳しくない気候でもあり、持参物資が売りさばけ次第、可能な限り早めに貴国の心算です。

《知らんとする要領は皆知りたり。餘りに正直なる應答にて、流石に氣の毒にもあり、道臺、温顔にて慰めて曰く、》

■上海は貴国と近い。蒸気船なら2,3日で往復できますので、時々、お越し下さい。

《道臺を免れて幕吏吻とす》

  • 近日中に道台の役所に参上し、種々ご相談致したく。

■過日は結構な品々を賜り深謝。日々、楽しんでおります。

  • つまらないもので恥じ入る次第です。(原文は「些少の品にて恥入候」)

■日本製品は殊に品質に優れており、驚くばかりです。

 

清国は亡国の瀬戸際に立ち、上海は英仏両国に守られて僅かに命脈を保つ始末――まさに惨状というべき情況だが、緩急自在で巧妙な外交手腕は健在だったらしい。その姿は、「餘りに正直なる應答」に終始する幕吏とは対照的だ。時にたわいのない挨拶で、時に日本製品の素晴らしさを讃えて座を和ませ、肝心の貿易工作が不調であることを探り出す手腕に幕吏はタジタジ。「道臺を免れて幕吏吻とす」とは、道台に翻弄されるがままに終始した「受太刀」の幕吏の緊張が解けた瞬間の姿が浮かぶようだ。まさにホッ。

 

だが、これは幕末だけに限るまい。共産党政権成立以後、いや、それ以前にしても、日中交渉に際し、日本側は「餘りに正直なる應答」に終始しすぎたのではなかったか。《QED》