【知道中国 1187回】                       十五・一・仲七

――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野14)

「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 

大平天国に際し、戦乱を避け日本(といっても長崎だろう)に移り住んだ家族がいたのかどうかは不明ではある。だが、太平天国が制圧した長江以南地域の知識人の間に「最安逸東洋(いちばん安全は日本)」という意識があったことだけは覚えておいてもよさそうだ。

 

ここで既に言及しておいたが千歳丸一行の上海訪問にまつわる「風説」について、改めてみてくと、

 

  • 我が国人による貴邦初訪問に関する「風説」だが⇒あなた方の当地への初来訪について、民間には「英夷」が日本で3万人の傭兵を募り、太平天国軍の守備する萬城を撃滅するとの噂が流れた。日本兵のなかに2人の「法術」使いがいる。この話は萬城の太平天国軍も知っている。だが、こうしてあなた方と会ってみると、全くのデタラメであることが判る。

 

  • あなたが聞いたところの2人とは⇒克原額と広真子という名前の2人で、1人は雲を駆って殺人ができ、1人は1日に千里を走破できるとのことだ。

 

  • 噂には困ったもの。我が国では邪教は厳禁で、犯した者は死罪だ。さて我が国と外国とでは、その人となりの違いは⇒貴邦人と西洋人とでは大いに違う。貴邦は「淳厚可風」だが、西洋は全て「覇道」だ。我が国では彼らを「洋鬼子」と呼ぶ。最悪が「黒鬼子」だ。(「黒鬼子」とは黒人、或は素性不明西洋人か。後に中国人が日本兵を「東洋鬼」「日本鬼子」と呼び、日本及び日本人を「小日本」と蔑むようになったことは既に知られたところだが、この当時は中国人の意識の中には「東洋鬼」はなかったということか。因みに「鬼」とは霊魂、魔物を指す)

 

  • 鴉片と邪教が共に国を大いに害するにもかかわらず依然として行われているのみならず、飢餓に苦しむ者を多く見る。なぜ、これを救わないのか⇒自らの力不足を嘆くのみ。太平天国の「賊首(頭目)」は「天主」を称し民衆を惑わしているが、西洋人の掲げる「天主教」とは違う。

 

――ここからは中国側の疑問に日比野が答えている。

 

■尚文の国である貴邦を長く慕っていた。どんな書物を読まれるか⇒四書六経に加え、史書や暦学書の類だ。

 

■貴邦では官吏任用に際しては文章詩賦の力を試すのか⇒実行力と才略が基準であり、詩文の力ではない。だが詩文を能くする者は少なくない。

 

■貴邦では孔子を敬うか⇒孔子を敬う点では貴邦に勝る。昨日、上海市街で孔子廟に参詣したが、孔子像は取り払われ、廟はイギリス人に占領されていたではないか。

 

■貴邦ではどんな神を敬うのか⇒我が国は万世一統であるがゆえに、万国に冠たるのだ。生民は悉く「天照皇太神」の恩徳に浴するがゆえに、最も篤く敬うのである。

 

■貴邦では天を敬うか⇒万物を生み育むのは天である。であればこそ「大父母」を敬わないわけはない。

 

■天には有形の「蒼々之天」と万物を生成化育させる「靈明之天」とがあるが、貴邦で敬われる天は⇒天が敬われるのは「靈明」なればこそ。他に何があろうか。

 

■史書などを紐解けば唐宋時代は貴邦からの往来は多かったが、元明になって途絶えたが⇒明の永楽年間も使節の往来はみられたものだ。

 

■利のためではなく見識を広めるべく貴邦を訪問したい⇒博学多才の人ならば歓迎だ。

 

――徳川は「天下」を失いつつある。上海にでの見聞と体験によって、日比野における「我國萬世一統。所以冠萬國也」は、確信から信念へと大きく変わったようだ。《QED》