【知道中国 1185回】 十五・一・仲三
――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野12)
「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)
長崎での帰国第一夜。食事を終えて「窓ニヨレバ、燈火マタ山ヲ焼クゴトシ。ソノ景佳ナリ」。折から長崎では、祖先供養の日々が続いていた。暗い夜空に、祖先を祭る灯か赤々と映えていたのだ。日比野の目と心に、祖国の美しさがいっそう深く染みたことだろう。「ソノ景佳ナリ」の6文字から万感の思いが伝わってくる。
千歳丸での日々を綴った「贅肬録」は、「(七月)十六日 晴 郷書ヲシタゝメ着船ヲ告ゲテ心快然タリ」の一行で終わっている。安着の知らせを故郷に届けたのであろう。
やがて「眼孔穴ヲナシ頤トガリ面色土ノ」ような面容も旧に復し「西土ノ辛勞」も癒え、気力も体力も回復したに違いない。3ヶ月ほどが過ぎた後、もう一つの上海滞在記である「没鼻筆語」を「文久二年戌十月上幹」の日付で著した。
冒頭に置かれた「没鼻筆語引」に日比野は、上海で交友を重ねた人物は数十人を下らなかったが、なにせ言葉が通じない。やむを得ないことではあるが、互いに相手を見つめるしかなく、そこで筆談ということになった。意気投合した6人との日々の会話を記録し、まとめた――と記す。
先ず日比野が、「かねて貴邦の文物を葵向(した)っており、思いがけずに今日という日を迎え素志を遂げ、これ以上の幸せはなし」と。すると相手が「長年、帰国の俊才を仰望していたところ、本日、ここでお会い致し、思慕の心を遂げることができました。長らく滞在され、御教えを願いたい」と。先ずは双方の社交辞令の後、日比野が「万里隔絶した間柄。今日、こうしてお会いでき、幸いこれに過ぎるものはない。私は『日本狂生』にて、同学を求めておりますゆえ、『請戰筆舌(筆舌にての戦いを所望致します)』」と切り出すや、相手は「甚是、甚是(望むところ)」と応じた。
詩文の交換を手始めにして、互いの教養の程度を探った後、やおら日比野が「いくつか尋ねたいが如何」と問い掛けると、「不敢當(ご随意に)」
日比野が投げ掛ける様々な質問の内容から彼が何に関心を持っていたのか、いいかえるなら何を探り出そうとしていたのかを知ることができるはず。そこで、以下、日比野が記録した順番に従って主な質問と返答を簡潔に示しておきたい。
- 学校教育制度の変遷⇒歴史的経緯を踏まえた詳細に現状を説明
- 目下の軍事最高指導者⇒曽国藩
- 目下の軍事指導書⇒茅元儀が著す『武備志彙』
- 国家にとって第一級の犯罪⇒殺人罪と反逆罪
- 官僚の位階の弁別方法⇒被り物が官位の違いを表す
- 子育て不能の場合⇒育嬰堂で引き取って育てるが、時に他人の義子となる
- 病気の貧乏人に対する支援方法⇒金持ちの寄付金で経営される賜醫賜藥堂が担う
- かつては農業を勧める書籍があったと聞くが⇒現在は失われた
- 堤防の修理方法⇒築城方法と同じ。板の中に土を入れ固く固める板築法
- 通貨(銀貨)偽造の罪⇒死体を晒しものにする棄市
- 貧乏な親に捨てられた子供の養育⇒各州県に設置された育嬰堂に委ねる
――この回答に対する日比野の感想は、「宋朝は慈幼局を設け、貧民の子弟を養育している。実に素晴らしいこと。貴邦の幼童養育の姿は宋朝の如きものだ」
- 蝗などの害虫対策⇒官の報奨金を受け、庶民は害虫を捉え地中深くに埋める
- 太平天国を避け上海に逃れる役人への処遇・罰則⇒目下は軍事費が膨大で、文官への俸給無配が続くゆえ上海への避難も致し方なく、職場放棄も処罰なし 《QED》