【知道中国 1180回】                       十五・一・初三

――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野7)

「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 

東西交易が盛んな上海には莫大な関税収入があるにもかかわらず、「ソノ利ヲ洋夷ニ奪ハル」る要因を考える。

 

「夫レ洋夷ノヨダレヲ流シ萬里ノ波濤ヲ來ル。豈些々タル利上ニアランヤ。ソノ素謀ヲ察スルニ、交易和親ヲ以テ名トシ、ソノ地ヲカリソノ地ニ家シ城郭スデニナル。コゝニ於テ金ヲ以テソノ民ヲナヅケ虛喝ヲ以テソノ民ヲオドシ、コレニ次グニ邪敎鴉片ヲ以テソノ民ノ耳目ヲ塗塞シソノ心腸ヲ蕩漾ス。ソノ術既ニオコナハル。コゝニ於テ漸々ニソノ地ヲ蠶食シソノ國ヲ并呑ス。カクノゴトクセザレバアカザルナリ。清國スデニソノ術中ニ陥リ、至ラザルトコロナク邪敎ニ化シ鴉片ニ溺ル。嗟危哉」。

 

――西洋人が万里の波濤を厭わずにやって来る最終目的は、とどのつまりは「金」「虛喝」「邪敎」「鴉片」などの手段を弄し、物心両面で洗脳し民族の生気を徹底して骨抜きにしたうえで「ソノ地ヲ蠶食シソノ國ヲ并呑ス」ること、つまり殖民地化にある。戦争せずとも、相手を無血開城させたうえで殖民地化してしまう。ロー・リスク、ハイ・リターンである。すでに清国はそうなってしまった。「嗟、コレ實ニ慨以テ歎ズベシ」。なんとも嘆かわしいばかりだ――

 

ここで日比野は、1857年に始まった第2次アヘン戦争(=アロー戦争)処理のために英仏連合軍が制圧した天津で、1858年に英仏両戦勝国に加え、ロシア、アメリカの4ヶ国との間で結ばれた天津条約を持ち出す。

 

同条約の骨子を示すと、①英仏両戦勝国への莫大な賠償支払い。②外交官の北京駐在。③外国人による中国旅行と貿易の自由の保障と治外法権の承認。④外国艦船の長江通行の権利保障。⑤キリスト教布教の自由と宣教師保護。⑥牛荘(後の営口)、登州(山東)、漢口・九江・鎮江・南京(共に長江流域)、台南・淡水(共に台湾)、潮州(広東東部韓江中流域。後に沿海部の汕頭に)、瓊州(海南島)など10港の開港。⑦公文書には「夷」の文字を用いず――まともに考えれば、いや考えなくても、4ヶ国は寄って集って猛禽のように清国を骨の髄までしゃぶり尽くそうとしたわけだ。

 

この7項目のうちの7項目に、日比野は注目した。

 

「西洋各夷ノ書簡必ズ漢文ニテ蠏字ハ通達セズ、コレ小事ニ似タルモソノ關係頗ル大ナリ」。この条項に拠れば清国側役人は英仏露語の「蠏字」を学ぶ必要はないが、「洋夷ハ却テ漢字ヲ學ブニ至ル。ソノ國體ニアズカル、豈鮮々ナランヤ」。ここでいう「國體」とは国情とか国の根幹に関わる情報といった意味合いのように思える。これでは清国側の秘密は筒抜けになってしまう、というわけだろう。

 

こんな危機感を抱いていた日比野の許に、上海に入港したイギリス船から「日本伏見ニテ大ナル變アリ」との情報がもたらされた。「夫レ洋夷ノ鬼子ラ何ヲ以テ伏見ノ變ヲ知ルヤ」と訝る。日本を遠く離れた上海に身を置いているからには、「伏見ノ變」の真偽を確かめる手段を持たないわけだが、「洋夷ノ速カニ我國事ヲ知ツテ流言スル」ことに対抗しようがない。当然のように上海での交易の可能性探索などといった当初の目的は吹き飛んでしまい、千歳丸一行は浮足立つはず。あるいは、それこそが「洋夷」の狙い目だったのでは。

 

千歳丸が上海に赴いた文久二(1862)年に伏見で起きた事件といえば、一行が長崎を出港した「文久壬戌年四月廿七日」の直前に寺田屋を舞台にした島津久光による有馬新七ら薩摩藩尊皇派制圧だろう。これが「洋夷」が速やかに知った「我國事」なのかは不明だが、「流言」の真偽を確かめる手段を持たない一行は浮足立ち、交渉力を失いかねない。

 

これをインテリジェンスというのだろうか。「實ニ惡ムベク又オソルベシ。嗟々」《QED》