【知道中国 1176回】                      一四・十二・念七

――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野3)

「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 

下っ端役人とはいえ、卓上の残り物を掠め取ろうなどという振る舞いは、浅ましい限りである。「想フニ賊燹煽動、故ニ風俗ノ壞敗カクノゴトキカ。或ハ珍菓ニ心魂ヲ奪ハレシカ」。まあ個人も、集団も、民族も、国家も、貧すれば鈍し、鈍すれば貧するもの。矜持を忘れ、恥を棄て去れば・・・なんでもデキるのことアルヨ。周永康、令計画さんのコトアルねえ。

 

役所の外に出ると、日本人の道台訪問の知らせを聞いたのか、「縱觀ノ者數萬人」。人垣の中を宿舎に戻った後、「徘徊」に出る。磁器店内に入って振り返ると、黒山の人だかり。店外に出ようにも出られない。そこで「鞭ヲ擧グレバ乍チ散ジ又アツマル。實ニ笑フベク厭フベシ」。なんとか「徘徊」してみるが、やはり「唐人馳セ來リ相圍ム。故ニ烟塵滿抹シ暑威ツヨシ」。顔を寄せられ、饐えたような体臭に取り囲まれ、臭い息を吹きかけられたらタマラナイ。そこで日比野は「扇ヲ以テ面ヲ掩フニ至ル」。嗚呼、タマリマセン。実に御免蒙りたい。

 

夜、千歳丸に戻ると、通訳から「日本國ハ格別ノ國ニテ禮義ノ正シキヲ感ゼシヨシ」との道台の言葉を伝え聞く。道台が西洋人を持て成すことはなかったというから、日比野は「我國人ヲ甚ダ戀フ趣ナリ」と記している。口から出まかせ。彼ら得意の荒唐無稽な誉め言葉と用心に越したことはないが、先ずは素直に受け取っておくなら、日本からの武士の礼儀正しさが、道台をして「日本國ハ格別ノ國」と感嘆の声を挙げさせたに違いない。やはり相手が誰であれ、ふんぞり返ることも、依怙地に出ることも、高飛車に振舞うことも、媚び諂う必要もない。たとえ相手がブッチョウ面をしようが、目を逸らそうが、相手の目を正視し、自らの国家の利害得失を念頭に、正々堂々と渡り合えばいいだけである。

 

いま、「中華民族の偉大な復興」やら「中国の夢」などといった誇大妄想を弄ぶ時代、我が日本には「子々孫々までに日中友好」などを口にする“絶滅危惧種”ならぬ“絶滅念願種”はいないと確信する。だが万に一つ、絶滅を免れ依然として生息していたとするなら、「贅肬録」の一節を書いた紙を丸めて煎じた熱湯を、頭からぶっかけてやれば、些かなりとも正気を取り戻すことに繋がるはず・・・はないな。

 

閑話休題。

 

峯も名倉も納富も揃って記す上海の水質の悪さに、日比野もまた言及する。何しろ上海には井戸が少なく、茶色く濁った黄浦の水を「礬石石膏ニテ清シ吃飲スル」というのだ。「已ニ晩飯ニ至リ、茶ヲ煎ジ飯ニソゝケバソノ色青緑實ニ食シガタシ」と。とてもではないが、如何に幕末勤王の士であれ耐えられるものではないだろう。

 

水と同じように耐え難かったのが、キリスト教だった。

 

じつは同じ宿舎に投宿していた「佛蘭西ノ耶蘇教ヲ傳フル僧」を目にした瞬間、日比野は「感慨勃々天ヲ仰イデ歎」ずる。太平天国にしても、漢族の王朝である明を再興しようというのではない。「唯邪教ヲ以テ愚民ヲ惑溺シ、遂ニ大亂ヲ醸シ災十省ニ及」んでいるほど。「然ルニ何ゾコレヲ禁」じないばかりか、「耶蘇ノ禁廢シテ上海ニ耶蘇堂三箇所」も建設させた。「蓋シ外ニハ洋夷ノ猖獗、内ニハ賊匪ノ煽亂アリテ災害並ビ至ル」。そのうえ、英国の軍事力に屈し、香港の割譲と上海以南沿海要衝の5港の開港を承知してしまった。かくて「嗟殷鑒トウカラズ」となる。

 

日本にとっての悪しき見本は、いま目の前にあるではないか。国の護りも、財政も、ましてや先祖伝来の志操までも西欧に骨抜きにされ、いま亡国の淵に立つ清国は「近ク一水ノ外ニアリ」。まさに清国こそ幕末日本の「鑒」だ。このままの日本では、いずれ清国に続いて西欧のなすがままに陥ってしまう。「オソルベキナリ」。まこと恐るべきなり。《QED》