【知道中国 1175回】                      一四・十二・念五

――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野2)

「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 

丁髷にせよ弁髪にせよ、相手には奇妙に見えたとしても、「實ニ風俗ノシカラシムルコト」であるからには「ソノ笑ヒイズレヲヨシト定メ難シ」と考える。これを今風に表現するなら文化の相対主義ということになるのだろうが、外見はともあれ内面、つまり人々の振る舞いから、日比野は「風俗ノ亂レタル一端ヲ知ルニ足ル」ことに気づく。

 

中国式の木造小型船の「杉船」が沈没して船主が水中に落ちた時など5、6艘が救援に駆けつけるが、人命救助はそっちのけ。バラバラに壊れた船の板切れを我先に争って取り合う。日本人が誤ってタバコ袋を水中に落したら、「馳セ來リ奪ヒ去ル」。何とも浅ましい限りの振る舞いを見せる。「實ニニクムベキナリ」である。確かに洋の東西を問わず港街の気風は荒っぽく刹那的で、「至ツテ輕薄ナレドモ」、上海の場合は限度を超えているといったところだろうか。

 

日本側は港湾内で利便を考え、小回りの利く小船を借用し、日の丸を掲げた。「午下上陸シ、顧看スレバ我國ノ日旗日ニ映ジ數千ノ蕃船ヲ輝射スルゴトシ」。振り返った日比野の目に映じた「我國ノ日旗」は西日を受けて翩翻として光り輝き、まるで数千の異国船を照射しているようだ。その時、いったい日比野は「我國ノ日旗」に如何なる感懐を抱いたのか。

 

街を歩く。「土人」が十重二十重と取り囲み、日比野ら歩みに合わせ動き、一挙手一投足を注視する。店に入るわけにもいかず、ただ看板を眺めるしかない。不思議なことに「數千人相集リ相尾シテ余輩ヲ看ルニ婦女甚ダ少シ」。100人中に5,6人の割合で乞食女や5,6歳の少女がいるが、それでも女子は「男子ノ十分ノ一ナシ」である。まさか上海では女子が圧倒的に少ないわけはないだろう。その証拠に「樓上或ハ戸隙ヨリ反面ヲ出シ窺フ者アリ」なのだから。そこで日比野は考える。

 

――聖人は男女に別があることを教えている。女子は専ら家に在って家内を治めるべきものだ。ところが我が国では「惡風」があって、女子は「冠婚死葬ナドニ往來ス」。親戚だから仕方がないが、それ以外でも「妄リニ往來」している。やはり親戚の外は女子の往来は禁ずるべきだ。かくて「余清國亂ルトイへドモ、男女ノ別アルヲ甚ダ感ズ」となる。混乱しているとはいえ、清国が「男女ノ別」を守っている点に感心頻りである。

 

新聞を読む。「賊」というから太平天国軍をさすのだろうが、その「賊」を避け、「老ヲタスケ幼ヲタヅサヘ」て多くの難民が上海に押し寄せる。逃避行道中の艱難は想像を絶するものがある。慌ててフランス軍が討伐に向かったが「賊」は消え失せていたので、引き返さざるをえなかった。そこで日比野は、何故に清国軍が討伐に出陣しないのかと「大イニ嘆息」し、「國内ノ賊ヲ外夷ニ探ラㇱムル、何ゾ失策ノ甚シキヤ」。なぜ自国内の「賊」の討伐を西洋人に委ねるのか。それだけではない。先頃は「奸商」が寧波辺りで「賊」に武器弾薬を売って大儲けしたというのだ。この情報を得た「西洋ノ兵」が探索に向い「奸商ノ船一艘」を確保し船内を捜索すると、大量の武器弾薬に加え2人の西洋人が発見された。そこで上海まで曳航し、英国領事館で尋問することになった。

 

かくて「何故ニ清國ノ官吏イタリ訊究セザルヤ。嗚呼々々」と。自国内での外国人の逮捕・捜査権を行使できない。実質的に主権を奪われた清国を嘆く。今日の清国を、断じて明日の日本にすべからず。こう、日比野は決意しただろう。それから150余年後の沖縄は・・・。

 

某日、幕府役人の従者として、オランダ人に先導され上海を司る道台の役所に向かった。例によって「市街甚ダ狹ク頗ル汚穢ナリ。左右縱觀ノ者堵ノゴトシ。指點シテ余輩ヲ笑フ」。道台では大歓待を受けたが、「酒後ニ至リ嘆息スルアリ」。片付け係の2,3人が残り物を「袂中ヘ(中略)竊入スル」のを見てしまった。またまた「嗚呼野ナル哉、卑ナル哉」。《QED》