【知道中国 1173回】                      一四・十二・念一

――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富8)

「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 

ほどなく大平天国は幹部間の内紛が表面化し瓦解するわけだが、問題は清国である。納富は、国家運営の根幹である財政・軍事権を英仏など外国勢力に握られていることが、清国衰亡の根本原因だと看做す。

 

先ずは財政だが、「上海海關ノコトハ、英人コレヲ司リ、黄浦ニ入船ノ船税ヲ取納ムルナリ。ソノ故ヲ尋ヌルニ、二十年以前コノ地初メテ開港ヲナシ、萬國ノ商客ヲ集メ貿易ヲ盛ンニセシト雖ドモ、洋商清人ノ柔弱ナルヲ侮リ、ヤゝモスレバ制令ニ從ハズ不法ノ行ヒヲナセシヲ以テ、英人ヲ頼ミ海關ノ税ヲ納メシム。然ルニ先年天津ノ戰爭ニテ英軍ニ打負ケ、和約ノ爲メ莫大ノ償金ヲ出スニ決定ス。コレヨリソノ後ハ上海ノ税銀ヲモ償金トシテ年々英人ニ占取ラルゝ由」。

 

つまりこういうことだ。アヘン戦争に敗れた結果、清国は英国との間で南京条約を結ばされ、上海・寧波・福州・厦門・広州の南部沿海の主要5港の開港を余儀なくされた。かくて「萬國ノ商客」が蝟集し、上海はアジア最大の貿易港へと大変貌を遂げ、税関収入も莫大なものとなった。だが「洋商」は「柔弱ナル」清国役人などバカにして命令に従わない。密輸・脱税など日常茶飯事だったことだろう。そこで英国人に代行を依頼した。ところが都合が悪いことに、第2次アヘン戦争で清国は再び「英軍ニ打負ケ」てしまい、莫大な賠償金を支払わざるをえない。だが国家財政は火の車。そこで上海港で徴する莫大な税関収入を差し出す羽目に陥ってしまった。ということは、上海が賑わい貿易取引が増加したところで、清国の国家財政を潤すことはないわけだ。やはり戦争は負けたらダメです。

 

次は軍事。納富は「或ヒトノ話」から説き起こすが、この「或ヒト」は上海を「徘徊」することが大好きだった名倉かも知れない。その「或ヒト」が「徘徊」を終えて宿舎に戻ろうとしたが、刻限を過ぎていたので城門は閉じられ「往來ヲ絶ス」。ところが日本人であることを知った城門守備のフランス兵が、態々城門を開けてくれた。すると「土人等コレニ乗ジ通ラント」したが、ダメだった。ちょうどその時、清国役人が輿に乗ってやって来て、フランス兵の制止を振り切って城門を通過しようとしたのだが、「佛人怒リテ持チタル杖ニテ速撃シ、遂ニコレヲ退キ回ラシメ」たというのだ。清国人、ダメのことヨ~ッ。

 

日本人は特例。清国人は役人も含め、自らの国土に在りながら他国の兵士の指図を受けざるを得ない。当時、上海をぐるりと囲んだ城壁には7つの城門があり、それらを英仏2国の兵士が守備し、朝晩5時を刻限に開閉していた。かくて「嗚呼清國ノ衰弱コゝニ至ル、歎ズベキコトニアラズヤ」となる。

 

上海港の税収はそのまま英国女王陛下の懐を潤し、街の防衛・治安はイギリスとフランスに委ねたまま。これでは納富ならずとも「嗚呼清國ノ衰弱コゝニ至ル、歎ズベキコトニアラズヤ」といいたくもなろうというもの。だが、翻って考えるに、納富が21世紀初頭の日本に蘇えり、国内要所に点在する米軍基地を目にしたとして、肩をガックリと落としながら「嗚呼皇國ノ衰弱コゝニ至ル、歎ズベキコトニアラズヤ」と呟かないだろうか。

 

西欧による籠絡の手法の1つにキリスト教の伝道を挙げる。「耶蘇堂」を築き、「愚民」に「先ズ多クノ金銀ヲ與へ」る。「故ニ愚民等ハ宗法ノ善惡ヲ論ゼズ」、キリスト教に靡いてしまう。また病院を建設して「愚民」に医療を施す。「藥劑等」も「上帝」からの施しであり、病気治癒もまた「上帝ノ救助シ玉フ」ところだと思い込ませる。かくて「ソノ教遂ニ天下ニ盛ンナリ」ということになって、民族精神は徐々に蝕まれるという仕組みだ。

 

財政権と防衛権は他国に握られ、精神は侵されるがまま。清国の惨状を目の当たりにした納富は、風雲急を告げる祖国に戻って行った・・・尊皇・佐幕・攘夷・開国。《QED》