【知道中国 1172回】                      一四・十二・仲九

――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富7)

「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 

「既ニ歸リ去ラントスルトキニハ、盤上ニ餘リシ菓子ナドヲ盗ミ、或ハ殘酒ヲ取ツテ飲ムモアリ。實ニ犬猫ニ異ラズ」。浅ましいばかりだ。貧すれば鈍し、鈍すれば貧す。小説家の城山三郎が三井物産社長、国鉄総裁などを務めた石田禮助の評伝の書名を『粗にして野だが卑ではない』としたが、それを借りて表現するなら、納富の目に映った上海の下っ端役人の姿は「粗にして野であり卑が過ぎる」といったところだろう。

 

加えるに武器はハリボテ状態でナマクラそのもの。兵士を眺めるに、「ソノ狀殆ンド狐狸ノ行裝ノゴトシト。官府ノ困窮コレヲ以テ知ルベキナリ」。語るに落ちたとは、こういう状態を指すに違いない。

 

下っ端とはいえ役人の惨状は、そのまま民間にも及ぶ。その最たるものがアヘンだ。

「清人云フ、鴉片烟ソノ味ヒ甚ダ美ナリ。然レドモソノ害ノ甚シキハ人命ニ及ブ」。だが気持ちが爽快でなく、或いは体調が優れない時、アヘンを吸えば「精神頓ニ明發ス」から、吸わないわけにはいかない。だがアヘンは「コレヲ吃スレバ一月ニシテ癊必ズ生ズ」。ならば厳禁すべきものを、いや自ら避けるべきであろうに。

 

千歳丸が雇った水路案内人は30歳ばかり。英語もできて収入も多いらしい。中牟田が尋ねると、父母妻子なし。博打もしないし、「女色飲酒ニモフケル」様子も見られない。「多クノ大金ヲ得テソノ衣服ダモ完タカラズ。永ク貧窶ノ體ナルヤ」と中牟田。すると、「我他事ヲ欲セズ、嗜ムトコロハ唯阿片煙ノミナリ。故ニ得ルトコロノ金多シト雖ドモ、コレガ爲ニ不足ナリト云フ」のであった。ここまで聞いても誰もが信じない。アヘンの値段が高いといっても、財布がスッカラカンになるほどのことはないだろう、というわけだ。

 

すると「須臾ニシテコノ者我輩ノ所ニ來リ、美ナル箱ヨリ阿片烟ノ具ヲ出シ、平臥シテコレヲ吃スルコト凡ソ半刻。皆コレヲ奇トシ傍ニ依テ見物ス。然ルニソノ烟座ニ滿チソノ臭モ亦惡ムベシ」。面白そうに眺めていたが、アヘン煙が放つ悪習に一同は我慢が出来なくなった。そこで「コレヲ静止スレドモ更ニ耳ニ通ゼズ。眸神蕩ケテ眠ルガゴトクナリケレバ、ソノ久シクシテ過チアランコトヲ恐レ」た。おそらく中牟田が怒りを露わに刀の柄に手を掛け、「キサマ、黙っておけばいい気になりおって」とでも大声で怒鳴ったに違いない。水路案内人は「アハタゞシクソノ具ヲ収メ出デサリヌ」。もはや処置ナシ、である。

 

かねて納富は、清朝の「官軍屢々敗レヲ取ル」原因は、戦場でもアヘンを吸うからだ。眸神蕩ケテ眠ルガゴトクナリケレバ」、敵軍の接近も判らない。予め定まった吸引時間になれば、戦闘を中断してしまう、と聞いていたが半信半疑だった。ところが「今コノ者ノナスヲ見テ」、やっと納得できたという。かくて「憐レムベク又戒ムべキニアラズヤ」と。

 

太平天国は当初は明朝の再興を掲げ破竹の勢いであった。だが時の経過と共に勢いは失せ、「現今ニハ専ラ天主教ヲ奉ジ愚民ヲ服セシメ、不從者ハコレヲ誅殺シ賊徒ヲ集メ駿夫ヲ捕ヘコレヲ兵勇ニ充テ、タゞ亂暴狼藉ヲナスノミト云ヘリ。コレ全ク賊中ノ將戰死シ或ハ降シヨリ、法令モ自ラ邪道ニ墜チタルナリ」。当初は異民族である満州族の清朝を撃ち倒し、漢民族の明朝を再興しようなどと“大義”を掲げていたが、今では邪教の天主教を前面に押し出し、かき集めた愚民を俄か兵士に仕立てる体たらく。指揮官は戦死し、あるいは投降し、もはや乱暴狼藉の限りを尽くす盗人夜盗の集団に成り果ててしまった。

 

にもかかわらず「尚逆勢ノ中國ニ隆ンナルハ、タゞコレ清朝ノ衰弱シテ暴臣政ヲ取ルヲ以テナリ。若シ一旦コレヲ改メ仁政ヲ四海ニ施サバ、從令兵革ヲ動カサズトモ賊匪ノ亡ビンコト掌ヲ指スガゴトクナラン」と。だが最早、清朝に「仁政」を求めるのはムリ。

 

というわけで、清朝も太平天国も共に・・・「ダメよ~ダメダメ」、でござるのう。《QED》