【知道中国 1171回】 一四・十二・仲七
――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富6)
「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)
例の2人は、折から訪ねて来た「知己ノ書生馬銓」に納富への取次ぎを頼んだ。馬銓もまた「聖書だから読んでみたら」などと悪気もなく勧めたのだろう。いくら「知己ノ書生」の勧めとはいえ、「耶蘇ノ邪教書」なんぞを受け入れるわけにはいくまい。当然のように「我友等倍々怒リ大イニ嚷責シ皆出テ右ノ書生ヲ遂却」した。かくて翌日から、この種の勧誘は絶えたようだ。一連の聖書騒動を、「噫、清國書ヲ讀ム者スラ既ヲ尊奉ス。況ヤ愚民等ニ於テヲヤ」と慨嘆した。
――清国には孔孟以来の聖賢の著書や歴史書があろうものを、読書人たるもの、なにゆえに「耶蘇ノ邪教書」なんぞを有難がるのか。読書人がこれなら、一般民衆は推して知るべし。嗚呼、何とも嘆かわしい限りだ――
ところで、「倍々怒リ大イニ嚷責シ皆出テ右ノ書生ヲ遂却」した「我友等」の先頭に立ったのは、果たして中牟田か。高杉もまた一緒になって刀の柄に手をやりながら、「そこもとら根性の腐りきった輩の来るところではござらぬ。下がれ、下がれ下郎の分際が」などと大喝したのだろうか。
日本の若者の剣幕に、さぞや驚き入ったことだろう。おそらく彼らの武勇伝は瞬く間に上海の知識層に広まったに違いない。そこである日、「清人ノ醫師來リ語ツテ曰ク」となる。これまた筆談なのか、通訳が入ったのかは不明だが、とりあえず“雰囲気”をだして翻案してみると、
――あなた方、上海来るある、上海、浮説(うわさ)あるのことよ。イギリス、日本に加勢頼んだあるよ。日本、上海、助ける来るある。清国・日本・イギリス・フランス、みんなさん長毛賊倒すのことよ。日本軍艦、いつ来るあるか。まだ来ないあるよ。待ちどうしいあるのことねェ。日本兵隊さん2人、凄いヒトある聞いたよ。1人、1日千里往って還るある。1人、雲に乗るのこと水の上走るのことよ。アイヤ~ッ、今見るのこと、みんなサン、普通の人ある。不思議のことあるねェ――
かくて納富は「初メ我船着岸ノトキ皆上陸セシニ、來リ觀ルモノ雲集セシハ、サル浮説ノアリシ故ナラン」と納得した。どうやら中国人は千歳丸一行を日本からの援兵の先遣隊と期待していたようだ。それほどまでに上海は太平天国軍の攻撃に悩まされていたということであり、同時に上海の人々は日本を頼みの綱と心待ちにしていたわけだ。であればこそ、「反日無罪」などと嘯く軽佻浮薄な21世紀の中国人に、この事実を教えてやりたい。
この「浮説」に一行の哄笑が聞こえて来るようだが、やはり納富が目は自国を守ろうとする気概なき清人の振る舞いが気になって仕方がないらしい
「清人ヲ見ルニ、凡ソ柔弱ナル躰ナリ」。ある日、上海を管轄する役所を訪問した。役所内で見かける。「ソノ情躰甚ダ賤シ。又禮儀ヲ知ラズ。見苦シキ下僕ト見ユルモ、主客ノ座ヲ憚カラズ立騒ギ見物ス。或ハ應接アル所ノ後障ヨリ數十人窺ヒ見ル。又我輩ノ傍ニ來リテハ、衣服ヲ撫デソノ品價ナドヲ評シ、或ハ草履ヲ取ツテソノ製ノ異ナルヲ笑フ。最モ珍奇トスルハ刀釼ナリ。頻リニコレヲ看ンコトヲ請フ。許サゞレバ窃カニ取ツテ抜カントス。ソノ形様ノ野鄙ナルコト云ワンカタナシ。コノ後到ルコト兩三度ニモ成レバ、庭前ニハ古キ衣服ヲ晒シ、廊下ニハ多クノ便桶ヲスエ置ケリ。更ニ掃除セシテイモナシ」
上司が日本からの賓客を接待している厳粛であるべき場面を、後障の影から鈴なりになって覗いている。汚い手で裃を撫で、武士の魂である刀を触りまくり、抜いてみようとさえする。役所の庭には着古した衣服が干され、廊下には便器が並び、掃除された様子がみられない。如何に綱紀が弛緩していることか。納富が呆れ返ったのも当たり前だ。《QED》