【知道中国 1170回】                      一四・十二・仲五

――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富5)

「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 

難民の多くは「蘇州ノ者ニシテ約ソ十餘萬人モコレアルベシ、且官府モコレヲ救フコト能ハザレバ、餓死スル者日々ニ多シ」。難民をめぐる環境は日々刻々悪化していった。それもそうだろう。政府は手を拱いているだけ。かくて日本への亡命を望む者も現れた。

 

日本側宿舎に顔を出し「風流ノ交リヲナスハ、皆難民中ノ人ニシテ、ソノ中ニハ秀才モ有ツテ、清朝ノ衰政ヲ哀ミ頻リニ皇國ヲシタ」う。ここでいう「秀才」は科挙試験上位合格の秀才なのか、一般的に頭がいいという意味を指すのかは不明だが、ともかくも一般難民とは違う読書人クラスの難民がやって来ては納富に向かって、「もう清朝はダメです。救いようはありません。それに引き替え皇国(にほん)は素晴らしい」とでも語ったのだろう。とどのつまりは亡命への支援要請だ。

 

「余ニ言ヒテ曰ク、現今多クノ難民去ツテ貴邦ノ長崎ニ在リト。古ヘモ亦コレアリ。貴邦ハ素ヨリ仁義ノ國ト知ル。而シテ我邦ト唇齒ニ均シ。若シ諸侯ニ於テモ我輩ヲ憐レンデ倒懸ノ苦ミヲ救ヒ、召シテソノ民トナシ玉ハゞ、長ク恩澤ヲカフムリ安居スルコトヲ得ント、坐ロニ涙ヲ浮カベケレバ、余モマタ哀憐ノ悲ニ堪ヘザリキ」と。

 

この部分のやり取りは筆談だったのか。それとも通訳を介したのか。それはともかく、「現今多クノ・・・」から以下の部分を翻読してみたい。

 

――ただ今、多くの難民が貴国の長崎に流れ着き住まいしております。こういったことは、その昔にもありました。貴国は古より道義の国であることを承知しておりました。加えて我が国とは唇と歯のように切っても切れない関係にあります。もし貴国の諸侯の何方かが私を哀れに思われ、召し抱えても宜しかろうと恩情を掛けて戴けますなら、末永くご厚情に浴し安居することが叶うことと思います――

 

こう涙を浮かべて訥々と語り掛けられたことで、納富としては「哀憐ノ悲ニ堪ヘザリキ」である。続けて「因テ思フ」と難民の処遇について記す。これまた翻読すると、

 

――かくて拙者が思うに、これら難民を救い申して皇国の民の列に加え、職人の技術を生かさば国益にもつながり申そうぞ。農民にてあらば、島々や山林を切り開かせ、意欲と能力ある者は挙って使うが宜しかろう。太平天国の賊乱に遭って苦しみ、空しく餓死するなどということ、痛々しく、これまた口惜しきことではござらぬか――

 

この時、果たしてどれほどの数の難民が長崎にやってきたのか。そのうちの何人が日本に落ち着き生計の道を確保したのか。それは不明だ。それはさておき、軽々しい同情は禁物だと思うが・・・如何。

 

納富は上海の情況から、一向に止みそうにない「賊亂」が清国全体に及ぼす惨状に思いを致す。上海では従来からの住人に加え「十餘萬ノ難民等」が食べなければならない。上海は「幸ヒ廻船便宜ノ地ナレバ米穀」が底を尽くことはない。だが、米価は日々に高騰の一途だ。ならば「難民等ハ買フコト能ハズ。又乞兒トナリテモコレニ與フル者ナケレバ、遂ニハ餓死スルヨリ外アラザルベシ」と。

 

手の打ちようのない惨状から、納富は考える。「他ノ地モ亦賊亂ヲ避ケ、ソノ地モシ米粟少ナク又運送ノ便ナクンバ、從令黄金ヲ貯フトモ、飢渇ニセマリ餓死スル者上海ヨリ尚多カラン。實ニ清國當今ノ衰世アサマシキコトゞモナリ」と。最早この国は、手の施しようがない。

 

某日、病床の納富を「二人ノ書生來リ訪フ」。友人が応接すると、聖書を持参している。「耶蘇」の布教だ。そこで友人は「大イニ怒リソノ書ヲ抛チ」、追い返した。「然ルニ次日又來ル。「入ルコト許サゞレバ、立ツテ戸外ニ在リ」。どうにも往生際の悪い奴らだ。《QED》