【知道中国 1115回】 一四・八・仲四
――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田17)
「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)
いよいよ仁井田の「中国の旅」も終わりに近づく。
広州から香港にでた途端、「きのうまで広州のホテルにいたときは、部屋に鍵をかけず荷物もほったらかしで気にしなかった。ところが今日、九竜のホテルに来たときはそうはいかなかった。『人を見たらどろぼうと思え』の世界に入ったからである」と、異なことを口走るから始末が悪いこと甚だしい。
これではまるで中国本土は善人の天下で、香港は悪人の巣窟とでもいいたげだ。香港の名誉のためにいっておくが、香港だけが「『人を見たらどろぼうと思え』の世界」ではない。人間が日々の生活を営む当たり前の社会というものは、国境や民族、さらには生活程度の違いとは関係なく、凡そ「『人を見たらどろぼうと思え』の世界」というものだろうに。
中国のホテルで鍵を掛ける必要がないのは、べつに中国人全員が極め付きの聖人君子であり、泥棒ではないというわけではない。水も漏らさぬほどに完璧なまでの相互監視社会である。かりに外国からの客人の持ち物を盗んだところで、他人に(いや家族であろうと)見つかったら即座に密告されただろう。国是である社会主義への道に背く者として断罪され、社会的に抹殺されてしまう。これが社会主義を信奉する新中国の“掟”だったのだ。
仁井田訪中1年前の58年9月に公刊され全国民に拳々服膺を求めた「愛国公約」に、「地域と自らの家庭とがより良く団結し、相互批判と自己批判を大胆に展開し、互いに助け合い、共に高め合うことを保証します」との一項があるが、これなんぞ徹底した相互監視体制を求めたものだ。国民1人1人の行動は24時間徹底監視・管理である。だから、些か戯画化して表現するなら泥棒がいないのではなく、泥棒になりたくてもなれなかったわけだ。
にも拘わらず仁井田は寝言を続ける。底抜けのお人好し、いや呆れ返るほどのバカです。
「どろぼうがなくなる問題をつきつめてゆくと、自国の支配領域をまもって他国の領域を犯さぬ『侵略戦争の否定』というところにまで問題が発展するように思われる。日本で軍備の必要を説く人が、その理由として一家の戸締りの必要を説いている。なるほど日本の国内での戸締りは必要であろう。しかしその必要状態から、中国に対する軍備の必要を割り出すことには、何かわりきれないものを感ずる。北京大学の翦教授をはじめ、中国の人はよく次のようにもいった。『国土は広く資源は多く、建設にいそがしいのに、何もよその国まで侵略する必要はない』と」
「北京大学の翦教授」といはいうが反右派闘争を経ても北京大学で禄を食んでいられたわけだから、極論するなら“去勢された知識人”でしかない。いわば毛沢東=共産党の知的幇間が説く「何もよその国まで侵略する必要はない」を論拠に中国は他国を侵略することなどありえないから、日本が「中国に対する軍備の必要を割り出すことには、何かわりきれないものを感ずる」というのだから、処置ナシ。当時、中国は東南アジア各地に工作員を派遣し、各国の華僑社会を基盤に共産勢力の浸透を進めていたことは明白な事実。だが東京大学と北京大学――両国の最高学府の権威が中国は他国を侵略などするわけがないと口を揃えれば、そのインチキな主張が独り歩きしてしまう。見事なまでの宣伝工作だ。
香港で「子供がよごれた手を出して物を乞うたこと」に「今更ながら驚」き、「私は中国の各地で、ことに上海の工人街で、多数の子供にとりまかれた。しかしその子供達は誰一人として、旧い時代の子供たちのようには手を出さなかった。これほどに中国の歴史的諸条件は変わっているのである」と綴り、仁井田は旅を締め括る。中国で接した子供たちが洗脳のための道具であったことに、気づくこともなく。
仁井田が掘った井戸は真っ赤に汚染されていた。彼の罪も・・・計り難く重い。《QED》