【知道中国 1114回】 一四・八・仲二
――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田16)
「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)
さすがに客の前では殺生は具合が悪い。そこで近くの暗がりに犬を引っ張って行こうとするが、犬は首を振り、前足をピーンと突っ張って前に進むことを拒もうとする。だが、力の差は如何ともし難い。やはり抵抗は無駄だった。
犬の首を縛った綱を、オヤジはグイグイと強引に引っ張る。やがて犬はズルズルズルズルと引きずられて行き、暗がりに消えたかと思う間もなく、キャンキャンキャーン。哀しいばかりの泣き声だ。この世とのお別れである。考えると残酷な話だが、しばらくの後、客は新鮮な肉を口にすることになるわけだから有難いかぎりだ。
この光景に最初に接した時、犬も一瞬の後に自らを襲う過酷な運命を察知するのか。死を予知するものかと酷く感心したものだが、そんなことを気にしていたら犬肉は味わえない。そんなわけで、いつか気が付かないうちに、犬は犬でなく、単なる食い物と見做すようになっていた次第だ。
その4:財政事情が逼迫したので、家賃の格安な田舎に下宿を移す。ある朝、管理人の曽バアさんの申しつけで、市場にお供した。その日の目当ては仔犬だった。犬は苦手だといっても、抱いて帰れとの命令である。致し方なく、仔犬を持ち帰った。
翌日から、曽バアさんは自分の食事の残りを仔犬の餌に。可愛いがっているうちに、いつしか仔犬は成犬に。こうなると立派な番犬だ。やがて秋風が立ち始める頃、どこからともなく麻袋を手にした犬買いがやってきた。犬を麻袋に入れ、体重に応じた金額を置いてゆく。曽バアさんは「この犬は食うだけ喰って目方が増えない。損した。クソッタレ」とご立腹。だが次の日曜日、再び市場へ仔犬を買いに。「おい、出掛けるぞ」である。
最初は愛玩用、次は番犬。残飯処理に加えて犬買いに売り払って小遣い稼ぎ。一石二鳥ならぬ、一匹四得ではないか。生活の知恵とはいえ、なんとも恐ろしいばかりの合理性。
その5:犬買いは仕入れた犬の一部を農村でも売りさばくが、大部分は大消費地の市街地へ。秋風が立ち始めるや、犬買い商人が動きだす。ところが当時の香港は、なんせ世界に冠たる動物愛護国家であるイギリスの植民地政庁治下だった。そこで警官を動員し、犬肉販売防止に努めることとなる。
農村地帯から市街地に入る幹線道路の要所に警官が配され、犬の市街地持ち込みを厳しく取り締まろうというのだ。当時、農村地帯と市街地とを結ぶ最も簡便な交通機関は14人乗りのミニバス。そこで犬買いは仕入れた犬を麻袋に押し込み、ミニバスの狭い通路に置いて市街地に入ることを常としていた。
農村の方角からやって来たミニバスは、警官の道路脇の検問所前で停車させられる。運転手が開けたドアから、警官が背を屈めて車内へと身を乗り入れる。否が応でも通路の麻袋が見に入る。いや、入らないわけがない。そこで一言、「これは誰の持ち物だ」。乗客は全員が沈黙。しばらくして再び「誰のものだ」。すると犬買いは小声で、「あっしのですが・・・」。「そうか。で、中身は」。すると犬買いは口を噤む。「中身は何だ」。沈黙。「犬じゃあないのか」。沈黙するが、そのうちに麻袋の中の犬がゴソゴソと動き出し、時にはキャンキャーンと叫ぶこともある。だが警官は、「そうか。異常なし。行っていいぞ」と運転手に声を掛け、検問所に戻る。かくて何事もなかったかのように、犬買いは、繁華街の屋台に生きた犬を卸すことができるわけだ。客も新鮮な犬肉を愉しめるというカラクリである。
警官としては、動物愛護を掲げての監視は単なるタテマエ。植民地政庁当局のメンツを立てればいいだけのこと。やはり広東人にとっては犬肉は「好食(うまい)」のである。
以上、70年代初頭の香港における犬肉を一例としての異文化理解の一端でした。《QED》