【知道中国 1112回】                       一四・八・初八

――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田14)

「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)

 

仁井田が東京大学を、『中国現代史』の著者が岩波書店を――それぞれが水戸の御老公が手にする葵の印籠よろしく“権威”を前面に押しだして語れば、それが詐術であれ流言飛語の類であれ、共産党政権治下の中国が桃源郷でもあるかのように印象づけてしまう。一切の“権威”が「王様の耳はロバの耳」という真実の声を押さえこみ、隠蔽する。枯れ尾花でしかないものを、無限の恐怖を呼ぶ幽霊に見せてしまう。

 

じつは建国以来、我われ日本人は中華人民共和国に幻惑され続けてきた。1949年以来の60数年間、我われは中華人民共和国のどこを、どのように理解して来たのか。いや、なぜ、誤解を繰り返して来たのか。まったくもって、惨憺たる言語空間から脱却できなかった。

 

人民公社の見学を終えた仁井田は上海市監獄に向かうのだが、「鉄の獄門はじめ、さすがイギリス帝国主義が建てたといわれるだけあって、外形のいかめしさは北京監獄にくらべて数倍であるが、内部で行われている制度は北京と変わりがない。ここでも監房には鍵がなく、受刑者は拡声器で音楽をききながら労働していた。食事の限度は『腹一ぱいまで』ということであった」と、またしても性懲りもなく現実離れした感想を綴る。呆れ返るばかりの鈍感力といっておこう。

 

再三言及しておいたように、監獄の塀の外の世界では、すでに飢餓地獄の前兆がみられていた。にもかかわらず塀の内側では「音楽をききながら労働し」、しかも「食事の限度は『腹一ぱいまで』」。ならば誰だって、塀の内側に憧れるだろうに。

 

帰路の最終地となった「広州での送別の宴はにぎやかであった」とは、まったくもって暢気なものだ。かくて訪中を、「私は今の中国で泥棒が年々少なくなっているときいた。それは自己の支配領域をこえて他の領域を犯さぬこと」。「役人についていえば、公と私の区分領域が明らかで」「わいろを取らない」。「選挙に買収を行わない」。「どろぼうは絶無ではないが毎年減少している。そうすると当然、監獄が空き家になってくる」。「犬がいらなくなる。私は旅行中、都市でも農村でも一疋の犬にも出会わなかった」――と締め括る。

 

まあ、なんとも“突っ込みどころ”が満載だが、たとえば「役人についていえば、公と私の区分領域が明らかで」「わいろを取らない」と断定した仁井田が21世紀の現在まで存命し、周永康による1.5兆円という天文学的不正を知ったなら、はたして何と応えたろうか。閻魔大王に懇願し、あの世から再生願ってでも、是非にも伺ってみたい。

 

「選挙に買収を行わない」というが、国会に当たる全人代でも最近では時に若干の反対票が数えられることもあるが、当時は満場一致が大原則。反対票そのものが許されない。だいいち毛沢東は超独裁権力を恣にしていたわけだから、わざわざ「選挙に買収を行」う必要はない。毛沢東が差配する共産党の方針に楯突けば無残な末路が待ち構えていることは、57年の反右派闘争で誰もが学習済み。であればこそ、毛沢東や共産党に反対するために「買収」したって意味がない。有体にいうなら、この上なく完璧無比な人治の時代である。とどのつまり毛沢東が説いた「新民主主義」とは、オレが全人民の民意を代表している。だからオレがいうことが民意であり民主だ。オレに逆らうヤツこそ民主主義を騙る反民主主義者だという理屈にならぬヘリクツ。身勝手千万なのだ。中国における「選挙」とは上意下達の儀式にしかすぎないわけだから、「買収」などありえようがない。

 

だが、仁井田がそういえば、大方は、中国では厳格公正で公明正大な選挙が行われ、選挙で民意をくみ取っていると思い込んでしまう。

 

「都市でも農村でも一疋の犬にも出会わなかった」と説くが、ひもじくなくても犬肉を食する方々である。ましてや飢餓地獄。だから、みんな食べちゃった・・・んです。《QED》