【知道中国 1108回】 一四・七・三一
――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田10)
「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)
仁井田は葯水弄について次のように説明する。
「かつては産業労働者は少なく、小売、人力車夫、くずひろい、乞食など最底の生活者がより集まっていた。食事にはとうもろこしの粉、豆かす、落花生のかすなどをたべ、しかも一日三食を欠く状態であった」。そのうえ「家はわらぶきのほっ立て小屋で、『地上にころがった籠』のようなもので事実そう呼ばれていた」。火事が頻発したが、消防車がやってきても放水はしなかった。なぜなら、消火したところでお礼を貰えないからである。
要するに葯水弄とは社会の掃き溜めだったわけだ。ところで仁井田は「食事にはとうもろこしの粉、豆かす、落花生のかすなどをたべ、しかも一日三食を欠く状態であった」と、かつての葯水弄の惨状を記す。だが、これは仁井田が訪中した当時の中国が襲われていた、大躍進政策失敗による飢餓情況そのものではないか。じつはノホホンと旅行していた同じ時、全国各地は「一日三食を欠く状態」以下の残酷極まりない飢餓地獄にあった。そのことに気が付かない。いや気づかせない中国側の“配慮”の巧みさには、改めて脱帽だ。これまた宣伝工作の妙というものだろう。
ところで、消火したところでお礼を貰えないとの一件についての思い出なんぞを。
香港留学時のことだから、いまから40年以上の昔だ。貿易商を営んでいた友人の事務所で暇潰しをしていた時、同じビルの下の階で火災が発生した。もちろん従業員共々大慌てだ。黒煙が立ち上り、友人の事務所に延焼する勢い。危険が逼っている。その時、絶妙のタイミングで消防(これを「救火」と呼ぶ)が駆けつけて来た。すると友人は机の引き出しから掴み出した札束を、隊長と思しき男にサッと手渡す。これまた絶妙のタイミング。するとドカドカトと友人の事務所に雪崩れ込むように入って来た消防隊員は窓からホースを突き出し、火災現場に向かってガンガン放水開始だ。時を同じく、隣の事務所からドカンガチャンとなにかを壊すような音。消火の便を考え障害物でも取り除いているのか。友人は「さてはカネを包まなかったかな。いや少額すぎたのかな・・・」とニヤリ。
火事騒ぎも一段落。隣の事務所を覗いてみると、火事の被害はなかったものの、室内が水浸しのうえに、数台のエアコンが見るも無残な状態に。友人は「こういう時にタップリお礼を包まないと、“痛いお礼”をされちまうからなあ」と。「消防隊員としての使命感は?」と質すと、「使命感? そんなもの・・・あるわけないだろうに」との返事だった。
使命感の話をすれば、こんな経験もある。個人授業を受けに中国語の先生宅に向かって歩いていると、ウ~ウ~とサイレンを鳴らして白バイがやって来て、前方を走るバイクを止め、白バイの警官はバイク運転手の取り調べをはじめた。どうやら信号無視らしい。面白そうなので近づいて2人のやり取りを聞いていると、別の白バイが近づいて来る。2人の警官で厳正に取り調べるのかと思いきや、先に調べていた警官がバイク運転手を促して、2人で現場を立ち去ってしまった。その顛末を先生に話すと、「2人で反則金の金額を相談していたんだ。もう1人警官が増えると、警官1人当たりの取り分が減るだろう。だから2人は現場から離れたのさ」と。そこで「警察官としての使命感は?」と尋ねると、先生の“解説”は「使命感? それで腹が膨らむのか、といった考えの警察官もいるんだよ。もちろん使命感を持つ警察官もいる。極く少数ではあるが・・・」であった。
そういえば、京劇小屋通いで知り合った戯迷(芝居狂い)仲間の老人の息子は小さな警察署の署長だった。だが、管轄区域の狭さに反比例して驚くほどに豪勢な生活ぶり。そこで尋ねると、戯迷仲間の1人が「まあ、色々と余禄があってな」とニヤニヤ。
思わず1970年代前半の香港の思い出に耽ってしまった。話を仁井田に戻さねば。《QED》