【知道中国 1105回】                       一四・七・念五

――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田7)

「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)

 

仁井田の妄言は止まるところを知らない。

 

当時、「中国内の少数民族が五十一あって」、その「総人口三千六百万人といわれる」人々の「中級高級幹部の養成のための学校」である中央民族学院を訪ねる。少数民族も多種多様。「民族によっては言語はあっても文字のないものがある。それについては文字を作り、また不完全なものについては改革された。「この学院の学生は四七民族二四〇〇名。学生の小遣、服装、医療費もみな国費でまかなうが、学生の服装も食事もその民族の習慣が尊重されている」と、ここまではいい。だが「また学生の信仰は自由であって」と綴った辺りからマユツバものになってくる。だいたい絶対神である真っ赤な太陽、つまり毛沢東を信仰する強固なる“毛沢東一神教”の国で、信仰の自由が許されるわけはないだろうに。

 

「学院内を参観しながらウイグル女子学生などと一緒に記念撮影をした」とのことだが、その時、いったい、どのような顔をしたのか。まさか恥ずかし気もなく「ハイ、チーズ」なんて・・・。

 

写真撮影とは微笑ましい限りだが、「ウイグルはトルコ系民族であり新彊地方に自治区をもっている」と記すに及んでは、もはや詐術以外のなにものでもない。自動筆記装置のフル作動である。

 

確かに「新彊地方に自治区をもっている」。だが、「自治区」とは名ばかり。建国以来、兵団組織を組んだ漢族をつぎつぎに送り込んで実質的には漢族居住区に変容させ、無尽蔵といわれる地下資源(石油、石炭、鉄鉱石、マンガン、クロム、ニッケル、銅、鉛、亜鉛など)を持ち去る一方で、広大な砂漠で原爆実験を繰り返す。だから、新疆ウイグル自治区というカンバンには、大いに偽りがあるというべきだ。

 

北京の中央政府は新疆に対し、チベットや内モンゴルと同じ方法で、建国時から現在まで一貫して漢族による漢族のための植民地化工作を続けて来たことを忘れてはならない。その証拠に、自治区主席にウイグル族を座らせることで“ウイグル族の自治区”の体裁は取っているが、最高権力者である自治区党委員会書記は一貫して漢族が押さえているのだ。

 

ここで参考までに統計数字を。新疆ウイグル自治区の人口は1718万人(97年)、このうち少数民族が946万人(90年)。年代は些かズレルが、総人口の約半数を漢族が占めていると考えていいだろう。04年の統計では総人口は1963万人ということだから、漢族の占める割合に変化なしとみるて、1000万人近くが漢族ということになる。

 

最近の全国規模に拡大したウイグル族弾圧、漢族によるウイグル族差別事件を考えれば、仁井田の記す「ウイグルはトルコ系民族であり新彊地方に自治区をもっている」がネゴトの類でしかないことに気がつくはずだ。つまり最近になって俄かに独立運動が活発化したわけではないのだ。

 

「ラマ教礼拝堂にはダライ・ラマの肖像もラマの仏像とともに安置してあった」とも記す。共産党が「チベット動乱」と称する人民解放軍のチベット進駐をキッカケとして起こった流血の惨事の後の1959年3月に、ダライ・ラマはインドに脱出している。つまり仁井田訪中の5ヶ月ほど前のこと。であればこそ、ここでラマ教礼拝堂にダライ・ラマの肖像が安置してあることの真意を考えるべきではずを、仁井田の言い様ならチベットを去ったダライ・ラマが悪人になってしまう。

 

かくて「日本ではチベット問題を信教の自由を圧迫した事件と〔中略〕見るむきもあるようであるが、問題を考えるときは、チベットの内部状勢を、社会経済構造の上から分析検討するようにしたいと思う」と結論づける。これは共産党の詐術と同じだろうに。《QED》