【知道中国 1104回】                       一四・七・念三

――「犯罪人の数は年ごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくる・・・」(仁井田6)

「中国の旅」(仁井田陞 『東洋とはなにか』東大出版会 1968年)

 

「中国では法院でも事件は少なくなり、犯罪人の数はとしごとに少なくなり、監獄でも監房が空いてくるし、弁護士の数も日本に比べてずっと少なくなっている。北京では専門の弁護士はあまりいない」と記す。

 

いやしくも東大教授で中国法制史の世界的権威の発言である。この一節を普通に読んだら、大部分の日本人は毛沢東率いる新中国では犯罪に比例して裁判も減少し法院(裁判所)も手持無沙汰で、獄舎では閑古鳥が鳴き、弁護士は失業している。道義国家・道徳国家に向かってまっしぐらに、そして着実に歩んでいる、と思い込んでしまうに違いない。“日本最高の知性”である東大教授の肩書を使った、中国共産党による巧妙極まりない政治宣伝工作といえるだろう。

 

そこで、ある数字を挙げておきたい。すでに述べておいたように、57年に毛沢東によって引き起こされた「反右派闘争」において、当時の知識分子の総数の11%に当たる55万人が右派・反革命と断罪され社会的に抹殺されている。彼らは例外なく「労働改造」を強いられ、投獄されもした。また推定で50万人ともいわれる小学校教師や農村の末端幹部が右派と見做されたが、後に「悪質分子」やら「地主」に改められ、右派分子より過酷な取り扱いを受けた。反右派闘争も後期に入ると、「右派」の外側に「内部統制使用」と認定された50万人前後の「中間右派分子」が設定された。だから仁井田訪中前後、当時の知識分子の30%ほどと推定できる150万人超が社会の片隅に追いやられ、あるいは獄舎で自らの非命や不運を恨み、共産党の非合理・理不尽さを憎悪していたはずだ。

 

仁井田は「法院でも事件は少なくなり」とするが、「事件は少なく」なったわけではなく、政治犯罪に限ってみるなら、その数は激増している。ただ政治犯罪を裁くのが法院ではなく、毛沢東の“鶴の一声“であり、共産党の権力ピラミッド構造における力関係であったということ。毛沢東や共産党を批判したというだけで犯罪者とされ、全国各地に設けられた労働改造所(略称は「労改」)で刑期も定まらないままに思想改造を逼られ続けた。もちろん出所の当てのない無期徒刑。実質的には監獄だ。だが労改は監獄ではなく教育矯正施設であるとの詭弁に従うなら、「監房が空いてくる」のは当然のことになる。

 

「弁護士の数も日本に比べてずっと少なくなっている」というが、絶対不可侵の毛沢東や共産党の力の前に、弁護士などという商売は成り立たない。「右派」の容疑者を冤罪だと弁護しようものなら、その弁護士も「右派」と断罪されるのがオチだ。自らが政治犯になることが判っていながら弁護を引き受ける“奇特な正義漢”などいるわけはなかろうに。

 

やはり東大教授で中国法制史の世界的権威の頭の構造は違うと呆れ返るばかりだが、「北京では専門の弁護士はあまりいない」に続く「法律はだんだんいらなくなってきているという」なる一句を目にするに至って、ぶっ魂消た。だが落ち着いて考えれば、仁井田の発言はデタラメのようだが、当時の中国の本質を言い当てていたともいえる。

 

それというもの、毛沢東=共産党が50年代初頭から強引に押し進めて来た都市と農村の社会主義化政策によって社会構造の、57年の反右派闘争によって思考の――それぞれの一元的支配が完了し、社会から法治は消え、完全無欠の人治に突入したからである。法律に取って代わったのは、「偉大なる領袖」と崇め奉られる毛沢東の片言隻語だったのだ。

 

それにしても東大教授で中国法制史の世界的権威に対し、じつに恐れ多いことながら、非礼を承知で敢えて言わせてもらいたい。いったい、「法律はだんだんいらなくなってきているという」などと空恐ろしいことを口にした時の仁井田センセイは、正気だったのか。それとも“ノーテン・ホワイラ(脳天壊了)”だったのか。「?、?、?別糊塗!」。《QED》