【知道中国 925】 一三・六・念三
――「喧噪と臭気との他弁別し難い様な人の波だ」(小林の13)
「杭州」「満州の印象」他(小林秀雄『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
蘇州は「骨董屋の実に多い街だ。或る通りは殆んど軒並みだが、安物ばかりだ。歯医者も非常に多いが、大概眼鏡屋と兼業で、どういう因果関係があるのかはっきりしないが、恐らく極く浅薄な関係を結んでいるのであろう」。街の中心にある玄妙観という道教寺院には「丁度浅草の観音様の趣で」店があって混雑しているが、「売っているものは、食い物と安物の日用品ばかりだ。うろつく人々の顔は和やかだが、店々の色彩は乏しく、生活は苦しいのである」。
戦争の惨禍も加わり、貧しさが増しているということだろう。「デパートに這入っても(デパートといっても平屋の粗末なものだが)」、店頭に並んでいる商品の大部分は生活必需品ばかり。「食堂で茶を飲んでいる客は多いが、物を食っているものは一人もいない」。小林が焼売を食っていると、「茶ばかり飲んでいる周囲の客は羨まし気に見ている」。
すると「チンタン、チンタンと言って手を出す」者がいる。仁丹のことだった。都合が悪いことに仁丹を持っていなかったので、代わりに「エビオスとクレオ丸を掌にのせてやる」と、「もうその頃は人だかりでやかましい」。
サトウキビを売っている店を覗くと、「日除けの幕の下で、台の上に皮を剥いただけの砂糖黍を積上げ、しきりにバケツの水をかけて、涼し気に見せている」。だが恐ろしいことに、「水は恐ろしく汚き」。それでも売る方も買う方も、一向に気にしない。それが・・・中国。
ただ、ひたすらなる雑踏の中を歩きながら、小林は「やや感傷的になり、一方何かはっきりしない事をしきりに考え込」み、彼らの振る舞いの根底にあるものに思いを致す。
「生活というものの他何も目指さず、ただひたすら生活する生活、目的などというものを全く仮定しない生活、最後にそういうものにぶつかって、どんな観念でも壊れて了うのだ。なによりもそういうものが強いからだ」と考えながら、「この考えは果たして陰気な考えだろうか」と自問し、「陰気? 陰気とは何だ。そんな馬鹿な事はない」と自答した後、「まあそう言ったあんばいに僕の頭は廻っているらしかった」と、一先ず納得する。
「生活というものの他何も目指さず、ただひたすら生活する生活、目的などというものを全く仮定しない生活」とは、あるいは中国庶民の日常の生活ぶりをズバリと言い当てた的確な表現かもしれない。数千年来、平時でも戦時でも自然災害に遭っても、「ただひたすら生活する生活」を繰り返してきた。過去もそうだったし、現在もそうだ。ならば未来もまたそうに違いない、と考えるべきではなかろう。
政治がすべてであった毛沢東、向銭看(ゼニ、銭、ゼニ)が天下公認となった鄧小平、反日教育と走出去(海外に飛び出せ)の江沢民、出来もしない寝言だった和諧(調和)社会の胡錦濤――激変する社会にあって、中国人は「生活というものの他何も目指さず、ただひたすら生活する生活、目的などというものを全く仮定しない生活」を送ってきたに違いない。だからこそ彼らは、その場限り。無手勝流で身勝手で無反省。であるからこそ、さしもの媚中派代表格とされる丹羽前中国大使ですら、「中国人は自己中心で創造力ゼロ」(6月15日、福岡市での日中友好団体講演で)と公言せざるをえなかったのだろうに。
さて小林だが、留園、西園、可園、遂園、拙政園、滄浪園など蘇州の名庭園を廻っている。だが「どれも大同小異」であり、「どれも庭園というよりも廃園と言うべきで、それも別して荒れたという趣もなく、ただ下らぬものが下らなく腐って壊れている様だ」。かくて小林は「ただもう呆れ返った不様である」と嘆息し、暫し苦笑するしかなかった。《QED》