【知道中国 924】                       一三・六・念一

  ――「喧噪と臭気との他弁別し難い様な人の波だ」(小林の12)

 「杭州」「満州の印象」他(小林秀雄『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 代金を払ったのは小林だったが、「僕の焼豚は半分は脂の切った奴だが、彼女達の皿は全部肉であった」そうな。そこで小林は「差別がどうもあんまり露骨なので可笑しかった」と半ば呆れ気味に綴る。確かに日本人の感覚や味覚では脂より肉の方がいいに決まっている。だが脂のない肉は、やはりパサパサし過ぎで余り旨いものではなかろうに。

 当時の中国である。贅沢が過ぎる現在の日本人のように、やれ脂の刺しが入っている方が旨みがある、やれブランド豚がいいなどと寝言をいっていられる時代ではない。口に入れば何でもよかったはずだ。だとするなら、あるいは料理屋のおっさんは、小林に旨い焼豚を味わってもらおうと「半分は脂の切った奴」を提供したのかもしれない。いや、よしかりに小林が苦笑するように「差別」であったにしたところで、それが人情というもの。

 こういった些細なことで兎角に目くじらを立てない方がいいように思う。一から十まで、いや十から百、千、万までもキチッとしなければ気がすまないのが日本人だが、そんなことを中国に行ってまで求めるようだったら憤怒の自家中毒、今風にいうならストレスが溜まりに溜まって、プッツンだ。ツライしタマラナイ。こんな時は料理屋のおっさんに、「次は宜しく願うよ」とでも声を掛け、柳に風と受け流してしまえばいい。声を掛けないまでも、ニヤッと笑ってやればいい。そうすれば、きっと次からオマケがつくはずだから。

 次に小林が向かうのは蘇州だった。

 「蘇州は戦前より人口が増えたという。皇軍大歓迎の飾り付けの色も褪せ、街はもう殆ど平常な状態に復しているらしく見えた」。さて、ここからが微妙な話になる。

 「銀行めいた石造りの大きな建物に頑丈な鉄門が開かれ、『慰安所』と貧弱な字が書いてある」。スワッ、例の素人娘を強引に拉致して仕立てたと国際問題にまで拡大している“従軍慰安婦”の囲われている施設かと思いきや、どうもそうではないらしい。

 「二階の石の手摺のついたバルコニイに、真ッ赤な長襦袢に羽織を引ッ掛けた大島田が、素足にスリッパを突ッかけ、煙草を吹かし乍ら、ぼんやりと埃っぽい往来を見下ろしている」。そこで小林は「同行のA君と顔を見合わせて笑う。何が可笑しくて笑うのか。無責任な見物人の心理は妙なものである」。確かに見物人としては「心理は妙」だろう。

 ここで「従軍慰安婦はいた」と胸を張って主張する人々は、「真ッ赤な長襦袢に羽織を引ッ掛けた大島田」は朝鮮半島やらから拉致された若い素人女性だなどと強弁したいだろう。十中八、九は。だが、どう考えても、それはムリ筋の屁リクツというものだ。おそらく彼女は“からゆきさん”であり、蘇州駐在の日本軍将校、軍属、あるいは実入りのいい商人向けの高級酌婦でと考えられるのだが、さて「『慰安所』と貧弱な字」を書いたのは、いったい誰なのか。

 「街の破壊は殆ど言うに足りない。部隊の宿舎は皆城外にあって、城内の大通りには、下士官以下通行禁止の札があり、兵隊さんの姿はあまり見られず、占領直後の街という印象は受けない。芝居、映画、デパート、其他の商店も皆店を開け、往来する人々の顔を和やかだ」というのが、小林の蘇州に対する第一印象だ。

 ここで改めていうが「城」というのは城壁を、「城内」は蘇州市内を、「城外」は郊外を指す。どうやら日本軍は下士官以下を郊外に駐屯させ、市内には入れなかったことになる。秩序が保たれていたからこそ、「芝居、映画、デパート、其他の商店も皆店を開け、往来する人々の顔を和やかだ」った。だが、そこも戦場であることに変わりはなかった。《QED》