【知道中国 848回】 一三・一・仲三
――事実は小説より奇なり・・・「偉大な中華民族」の現実(2)
『洪流』(《南方都市報》特別報道組 広東省出版集団 2012年)
「中国農民工30年遷徙史」の副題が示すように、70年代末の改革・開放を機に農村の貧困・耐乏生活から抜け出せとばかりに土地を棄て、家族と離れ、工場で汗に塗れ、都市に流れ込んだ農民出身の労働者、つまり農民工――その数、全人口の10分の1余。奇跡と見紛うばかりの中国の経済成長を下支えしたであろう彼らの30年余の歩みを綴っている。
田圃から足を洗って行商人に変身し(安徽)、野良着を脱いで労働者になり(山東)、労働力として我が身を売ることで町と村とを結びつけ(四川と広東)、故里を飛び出して海外に新天地を求めた(福建)――「第一部 土地に叛いた農民(1981年~84年)」。故郷に都市を建設し(浙江、江蘇、四川)、女工となって都市で働き(四川、黒龍江)――「第二部 都市に第一歩を印す(1984年~88年)」。中原が全土を動かし(河南、山東、山西、四川、チベット)、臨時工は社長を夢見ながら(江西、湖北)、行ったり来たり、儲けたり大損したり(湖南、湖北、四川)――「第三部 人の奔流、全国を巻き込む(1989年~99年)」。都市戸籍は越えられない壁であり(山西、広東、新疆)、戸籍がなけりゃ都市に住み続けられない(北京、浙江、重慶)――「第四部 都市には留まれず、故郷にも戻れず(2000年~08年)」。新世代農民工が登場するも(広東、河南)、農村と都市の将来は茫々として行く末を知れず(安徽、湖北)――「第五部 新世代農民工、都市に迷う(2009年~ )」。
このように、出身地である農村や現に働いている都市の性質の違い、市場が求める労働の質の変化、さらには中国の経済規模や政治情況の変化などに応じて自らの立場を変える知恵を発揮しながら、新しい社会環境で生き抜こうとする農民工の“ありのままの姿”を時間の経過の中で描き出している。
この本を読み終わって先ず頭に浮かんだのは、「木は動かせば死に、人は動かさないと死ぬ」という中国の格言だった。毛沢東時代が現在まで続き人民公社が厳然と機能していたら、動くことが叶わない農民はとっくに死んでいたに違いない。
じつは78年末に鄧小平が毛沢東路線を全面否定し、共産党が改革・開放に踏み切った機会を捉え農民は動き出す。彼らは、彼らを農村に縛り付けてきた人民公社から解き放たれ移動の自由を得たことで、「自らの命運のみならず中国全体の命運をも変えてしまった。両の肩に重い責務を担う彼らこそ、中国崛起の礎だ」と、この本は看做す。
農民が農村を棄て「中国崛起の礎」になることで、働き手を失う農村の荒廃は確実に進む。そこで農村の崩壊を嘆き、農民工に対する都市住民の無理解を怒り、農村と都市の格差を告発する声が起こりそうだが、この本はそんな感傷は何の役にも立たないと主張する。
「我われは伝統的農村社会への挽歌を恋々と唱うべきでもなく、ましてや農民にとっての救世主になろうなどとは思わないほうがいい。ここ20年ほど、我われは都市に様々な“垣根”を設けたにもかかわらず、我が農民たちは自ら進んで都市に飛び込んでいった。これは彼ら自身が選んだ道だ。口先だけで農民への思慕の情を語り、農民のために自由を叫ぶのはいいが、自分が農民より聡明だなどとは金輪際思うべきではない」。「自分の土地をどう処分しようが、自らの判断に任せよ」と説く。やはり自己責任・自助努力・優勝劣敗。
大目的は偉大な中華民族の大復興だ。農民工の苦衷・・・そんなもの知るかい。《QED》