【知道中国 851回】 一三・一・仲九
――事実は小説より奇なり・・・「偉大な中華民族」の現実(4)
『中国社会各階層分析』(梁暁聲 三聯書店(香港) 2012年)
中華人民共和国が建国された1949年に生まれた著者は典型的な文革世代だ。1968年には生産建設兵団の1員として黒龍江省に下放された後、復旦大学中文系に学び(74年~77年)、卒業後は北京電影製片厰や中国児童電影製片厰での映画製作に携り、02年から北京語言大学人文学院で教授を務める作家だ。それだけに、政治学者や社会学者とは色合いを異にするような中国社会各階層の分析と解説を見せてくれる。
著者は「日に月に変貌し、凡ての民族が右肩上がりで発展している時代、我われは後退するわけにはいかないが、かといって将来を明確に見定めることもできない。それゆえ人びとは不安に駆られ焦りつつ、社会における自らの立ち位置を確かめようとする。同時に我われは自らの運命に関心を持つように自らが属する以外の階層を注視する。なぜなら、そこに苦闘する親族や友人を見いだすからだ」と自らの視点を示した後、改革・開放によって中国に出現することになった資産家、買弁、中産階層、知識分子、都市住民(一般住民と貧困住民)、農民、農民工、「黒社会」と「灰社会」の9つの階層について詳細に綴る。そこで面白そうな記述を1つ2つ紹介したい。なお〔 〕で説明を若干加えておいた。
■「民営企業による中国の経済発展への貢献は、多くの人びとに就業機会を与えただけでなく、国税・地方税の数字からみても、その貢献度は否定できるわけがない。『改革開放』の30数年来、民営企業は総じて権力とガッチリと手を結ぶことを求めた。かくして貪官〔悪徳幹部〕は民営企業家に向かってニコニコ顔で片方の手を差し伸べながら、残る片方の手を民営企業家の金庫に突っ込むことを常としてきた。もし民営企業家が権力と手を結ばず自らの足で立って歩いたなら、権銭交易現象〔殿と越後屋の関係〕も少なかっただろうに。これは現状では望むべくもない無謀な考えだろうが、社会の進歩とはこういった暴論が1つ、また1つと消え去る過程でもあるのだ。目下のところ中国には、こういったデタラメな現象が余りにも多すぎる。だから今後は、それらが改められることを願いたい」
■「中国の幹部は上から下まで伝統的な欠陥を踏襲している。滔々と壮大な思想大系を語りはするが、問題の具体的解決となると輝かしくも曖昧な言葉を弄するばかりだ。多くの幹部の思想を語る能力は実際問題の解決能力を遥かに凌駕しているが、この種の幹部は改革を深化させるという新しい環境には絶対にそぐわない」
■「現状を余りにも過度に美しく描きすぎる。これは一種の『功績想像症』であり毛沢東や鄧小平が再三にわたって提唱した実事求是〔現実の追及〕の作風に悖るものだ」
そして最後を、「温総理は『パイを大きくすることは政府の責任であり、パイを平等に切り分けことは政府の良心であり知恵である』と表明しているが、それは彼が問題の所在を知り、大いに憂慮しているからだと思う。私は明日の中国に楽観している。それというのも、最大多数の中国人が国家の望むべき姿を将来に託しているからである。だから限られた少数によって大多数の将来が潰えてしまうことを断固として許してはならないと、最後に強くいっておきたい」と結ぶ。
それにしても権銭交易現象の象徴ともいえる温家宝である。報じられる限りでは「残る片方の手を民営企業家の金庫に突っ込む」「知恵」は大有りだろう。「パイを平等に切り分け」る「良心」はゼロだが、悪知恵は無限大だ・・・これを弄辞求銭という。《QED》