【知道中国 853回】                    一三・一・念五

 ――事実は小説よりも奇なり・・・「偉大な中華民族」の現実(5)

 『中国在梁荘』(梁鴻 商務印書館 2011年)

 梁荘とは梁一族の集落を指す。『水滸伝』を種本にして1940年代初期に共産党が創作した京劇に「三打祝家荘(三たび祝家荘を打つ)」という演目がある。梁山泊の英雄豪傑たちが、堅固な城壁で守りを固めた祝一族の集落を攻撃し撃破するという内容だが、その「荘」である。同姓の集まりを宗族と呼び、他の宗族から身を守り互いに助け合うために同姓の一族が集団で居住することから荘という生活の仕組みが生まれたようだ。

 北京師範大学を卒業し、現代文学研究に従事し、いまは中国青年政治学院に所属する著者の故郷である梁荘は、漢族の故地ともいわれる河南省西南の南襄盆地の西部に位置する。

 20年に及んだ故郷での暮らしを離れ、10数年の都市生活を送ってきた著者は、ある時、「自らの仕事に堪らなくなるほどの懐疑の念を抱き、虚しいばかりの生活は現実とも大地とも、ましてや精神とも全く関わりを持たないのではないかと思った」。故郷の梁荘こそ「私の心の奥底に沈んだ、激しい痛みを伴う感情だった。故郷に心を傾け、関心を抱かずにはいられなかった。故郷を思えばこそ、何千、何万の故郷が中国の病巣に思えてくるだけでなく、中国の悲傷そのものに見えてきた」そうだ。

 著者は2008年と09年の夏と冬の休暇を利用し、「辺鄙な地にある貧しい梁荘に戻り、5ヶ月ほど実際に暮らした。毎日、同姓の村人と一緒に時を過ごし、メシを食べ閑を潰し、宗族関係、家族構成、家産状態、生活環境、婚姻、育児情況など社会学と人類学の調査を行った」。その結果が、この本に纏められている。

 「改革開放の30年、村全体で最も顕著な変化を見せたのは道路だ。道路は絶え間なく巾を広げ、本数を増す。四通八達した道路はムラとムラ、ムラとマチの間の距離を縮める」。続々と建設される高速道路を猛スピードで車が走り去るが、それらは「村人とは何らの関係もないばかりか、反対に彼らが近代化された社会の“除け者”でしかないことをハッキリと告げている」。経済発展に必要不可欠な近代化された道路網こそが村人にとっての生活圏を分断し破壊し、それまでの慎ましやかな生活を根底から変貌させてしまったのだ。

 手っ取り早く高い現金収入を求める農民を安い労働力として都市に送り込むには最適の経路である道路は、農民を農民工(都市労働者)へと駆り立てた。働ける者は誰でも農村を捨てる。働き手のいなくなった農地は荒廃する。都市生活を覚えた農民は村に戻る気は失せ、やがて農地を手放してしまう。その時こそ、都市に生きる農民が帰るべき故郷を喪失する瞬間なのだ。「元農民」になってしまった彼らが都市に住み着き、その数を増す。

 都市では一家を養えるほどの収入は得られない。年老いた両親に子供を預け養育を任せ、夫婦2人で都市へ向かう。子供は甘やかされ放題で親にもなつかない。行き着く先に待っているのは家庭崩壊。夫だけが都市で働く場合、やがて夫婦関係は破綻する。農業の担い手が減れば、次は農地の荒廃となる。農村・農地・農民の「三農」は消滅を待つのみ、か。

 子供が少なくなれば学校も維持できなくなり、統廃合を進めざるをえない。著者が母校を訪ねる場面は殊に印象的だ。校門に掛けられた「『梁荘小学 教書育人』の看板の『小学』が消され『猪場』に換えられていた」。小学校は養豚場に。皮肉ではない。であればこそ「中国在梁荘(中国は梁荘に在る)」となるのだろう。ならば梁荘は現代中国の象徴なのか。

 大きな夢を胸に村を離れ働く場所を求め転々とし、都市生活に疲れ果てて村に戻ってきた幼馴染が著者に呟く。「理想・・・この世の中でいちばん悪いのがソイツだよ」《QED》