【知道中国 854回】 一三・一・念七
――事実は小説より奇なり・・・「偉大な中華民族」の現実(6)
『毛沢東が神棚から下りる日 中国民主化のゆくえ』(堀江義人 平凡社 2013年)
1944年に台北で生まれた著者は、朝日新聞の北京・ウランバートル支局長、上海市局長を務めている。同紙中国報道を最前線で支えてきたわけだ。
著者は「現代中国の原点は毛沢東時代にある――本書はこの視点から毛沢東と鄧小平の時代を検証し、民主化のゆくえを展望したものだ。江沢民、胡錦濤の時代も鄧路線の延長にあった」と自らの視点を明らかにし、金権腐敗独裁一途の共産党による有形無形の嫌がらせや弾圧に抗す一方で、「人権も尊厳もなく、ただ虫けらのように生きてき」たゆえに「統治されることに慣れきっている」中国人の無関心と非協力といった劣悪な環境にもめげず、共産党に敢然と異議を唱え社会変革を訴え続ける有名無名の老若男女に取材し、その言動を追い、彼らの著作などを引用し、「中国民主化のゆくえ」を探っている。
著者は数多くの“民主派闘士”に接触し、現在の中国、共産党、中国人に対する彼らの考えを引き出している。そのうちの一部を引いてみると、
■「中国は世界で最も拝金主義にまみれた国」
■「人を資産階級と無産階級に分けたマルクス・レーニン主義は間違いだ」
■「一九三九年以降、共産党は日本軍との大きな戦闘に加わらず、解放区と武力の拡大のみに力を入れた。民族存亡の危機に日本人を打たず、そろばんを弾いて勝利の果実を摘み取ったのだ」
■「毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳は、政治面での反封建は徹底していたが、思想面では孔孟思想の影響が残っていた。彼らには封建思想の残余を一掃できなかった」
■「(天安門事件の活動家で)海外に出た連中は口論ばかりで収拾がつかない。彼らは実権を奪ったとしても、共産党より民主的な政権には到底なりえなかった」
■「(最近の)青年の民族主義情緒が気がかりだ。批判されたら敵という心理なら、世界は敵だらけになる。心理的に緊張していすぎる。アヘン戦争以後の後遺症であり、『敵が反対するなら賛成』という毛沢東の影響でもある。一方で少し豊かになると、金持ち心理が芽生え威張り散らす。発展途上国にとって民族主義はマイナスになる」
■「中国、とくに都市では、路上で人が急病で倒れ、車がひっくり返ってけがをしても、通行人は取り囲んで眺めるか、時には楽しむものはいても、手を差し伸べて、助けようとする人は極めて少ない」
どれもこもれも“正論”だろう。だが空恐ろしいのは最後の一文だ。じつは「八十年前の魯迅の雑文『経験』」の一節なのだ。ならば中国は80年前に戻ってしまった。あるいは中国人の意識構造は根底で進歩も変化もなかった。いや、悪癖が復活したとでもいうのか。
そろばん勘定で「摘み取った」「勝利の果実」を手放すことなく、ついには中国を「世界で最も拝金主義にまみれた国」にした共産党に対する著者の批判は、極めて“アサヒらしからず”と評価したいが、「少し豊かになると、金持ち心理が芽生え威張り散らす」中国人を民主で救えるとする思い込みの強さは、やはり“アサヒそのもの”といっておこう。
ところで毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、鄧小平らがにこやかに握手を交わす写真を挙げ、著者は62年当時の共産党首脳の関係を語ろうとするが、写真解読の専門家の一部には団結を装うために後日に作り上げられた偽造写真との見方が強い。自らの主張の論拠に疑惑のある写真を説明もなく使うとは・・・流石に「珊瑚事件」のアサヒだ・・・感服。《QED》