【知道中国 436回】 一〇・八・念三
――“社会主義的英雄”は犬死する運命に・・・
『黄継光』(董辰生画 李学鰲詩 人民美術出版社 1972年)
「苦しみの根、苦しみの種は苦花(ばいも)を咲かせ。苦しみの苗、苦しみの蔓は苦瓜(にがうり)を結ぶ」と「苦」の文字がてんこ盛りになった書き出しが、この本の主人公である黄継光(1930年から52年)が辿ることになる人生を象徴しているようだ。
生まれは四川省の貧農家庭。父親は地主にこき使われ病気になるが極貧のなかで窮死。残されたのは、母親と7歳の彼と腹を空かしては泣きじゃくる弟の3人。だが、彼は決然と、「母さん、もう泣かないでくれ。手伝うって。雑草を喰らってでも生き抜いてやるって。恐れることなんて何もないんだって」
やがて彼も地主のところで働くことになるが、父親と同じで牛馬のように酷使される。ある日、地主の家の凶暴な番犬が彼が弟と一緒に捕まえた魚とエビを食べてしまう。怒りに燃える彼は、素手で虎を退治した『水滸伝』の英雄・武松のように番犬を殴り殺す。地主の使用人が役所に訴えてやると息巻くや、「貧乏人のおいらが、地主の狂犬を鉄拳で叩きのめしてやっただけさ」と、怒りに燃えた眼差しで相手を射すくめた。
やがて暗黒の季節は去る。「春雷が鳴り響き天を震わせ、救いの星・共産党がやって来た。毛主席の放つ光は群山を光り輝かせ、千年(えいえん)の奴隷は太陽に出会う。何百何千の太鼓が一斉に歓喜の音を響かせ、ドドドンドン・・・山や村は歓喜の響きに包まれる」
「時移り目を転ずると、アメリカ帝国主義は朝鮮を侵す。朝鮮は我が好き隣邦であり、大地と心とで結ばれている。アメリカを討て、朝鮮を助けよとの潮は高ま」り、「苦しみの中で生まれ辛い日々を成長し、19年を故郷から出たことのな」かった彼もまた、「アメリカ帝国主義を倒さずば故郷に戻らず」の固い決意を秘めて義勇軍に勇躍として戦場へ。
「銃を肩に胸を張って鴨緑江を渡る。そこは見渡す限りの焼土・・・母親は血涙の中に斃れ、赤子は泣き叫ぶ悲劇の地」。敵に対する憎悪はますます燃え盛る。「バキューン、バキューン、バキューン・・・敵の弾に斃れた戦友の敵討ちだ。憎っくき敵のトーチカを、必ずや夜明け前に突破するぞ」と、固い決意を秘めて最前線へ。
彼は部隊の先頭に立ち敵のトーチカに肉薄する。敵の銃弾に射抜かれるが、胸に怒りの炎を滾らせながら立ち上がる。「しっかりと決心し犠牲を恐れるな。万難を排して勝利を勝ち取れ」との「毛主席の偉大な教えが、無限の力を与える」。ジリジリと敵のトーチカに近づき、「全身の力を振り絞って、手にした最後の手榴弾を投げつける」。だが破壊を免れた1門の機関銃で敵は必死に反撃してくる。前進を阻まれる戦友たち。彼は敢然と自らの体を捧げ敵のトーチカの銃眼を塞ぐ。「敵の銃声は沈黙した。黄継光の戦友は敵陣目掛けて怒濤のように襲いかかる。吶喊だ。英雄・黄継光のために敵討ちを・・・吶喊だ」
戦死の後に共産党員に。中国人民志願軍特級英雄、朝鮮民主主義人民共和国英雄に加え、中華人民共和国一級国旗勲章を授与されるなど破格の“大出世”。かくて「あなたは永遠に我われの心に生きる、あなたは永遠に共産主義のために奮闘前進する我われを鼓舞してくれる」と大々的に顕彰され、一時は全国的な学習運動が熱狂的に展開されたものだ。
黄継光に加え雷峰、邱少雲なども、かつては“理想的社会主義青年”として大いに持て囃されたが、当然のことながら、いまや完全に忘却の彼方へ。時の流れは残酷で滑稽。 《QED》