【知道中国 435回】 一〇・八・念一
――どこまでいっても・・・猿は猿
『従猿到人』(上海自然博物館編 上海人民出版社著 1973年)
74年1月、江青とその取り巻きの清華・北京両大学の若手理論家集団(ペンネームの「梁効」は「両校」と同音)は毛沢東の許可を得て、全国に向け批林批孔運動の開始を高らかに宣言した。この本の出版は、その1ヶ月前。ということは、江青らが批林批孔運動を盛んに画策していた頃に、この本は出版されたことになる。
表紙を繰ると、「政治経済学者は労働は一切の富の源であると主張する。だが、そのじつ労働は自然界と調和してこそ一切の富の源泉たりうるものであり、自然界は労働のために材料を提供し、その材料を労働が富に変える。・・・労働は人そのものを創造するのだ」とのエンゲルス語録が。次いで「生産闘争と科学実験の観点に立てば、やはり人類は絶え間なく発展し、自然界もまた発展し続け、ある一定の水準に永遠に止まっているものではない。それゆえ、人類は休むことなく経験を総括しなければならない。かくて発見があり、発明があり、創造があり、前進がありうるのだ。思考停止、悲観、無作為、自己満足の凡ては誤りである」との『毛主席語録』からの引用が続く。
先ずはダーウィンの進化論を「生物は低級から高級へ、簡単なものから複雑なものへという系統だった発展段階を経る。かくてヒトは動物界との間に親戚関係を持つ」と解説し、なぜ類人猿と現代人は似ているのかという疑問を解き明かす。
次いでエンゲルスの「人と他の動物との本質的な違いは自然界を支配できるところにあり、この違いは労働によってもたらされるものであり、労働は道具を作り出すことからはじまり、労働は猿から人へ変化する過程で決定的な役割を果たすものだ」という学説を紹介しつつ、古猿が地上に降り労働を重ねることで人になった過程を、「一分為二(一が分かれて二となる)」との“毛沢東の闘争哲学の闘争弁証法”を援用し、以下のように説明する。
――自然環境の深刻な変化により地上に降りて生活することを余儀なくされたことで、それまで森林を住まいとしてきた古猿は2種類の異なった生き方をするようになった。一方は新しい環境に順応できずに自然に淘汰され、一方は移動を繰り返すなかで新しい森林を探し当てた。新しい生活環境の影響を受け、彼らの四肢と体の構造は徐々に変化・発展し、現在の類人猿への過程をたどった。類人猿となったグループとは異なり、比較的高度な知力と環境適応能力を備えた一群は、森林を捨て、木の上の棲家から地上に降りて生活をするようになった。かくして自然界との闘争を繰り返し、考えられないような努力と時間の果てに労働を通して猿人⇒古人⇒新人へと進化した。確かに「一分為二」!?
民族・人種の違いは居住環境がもたらしたものであり、「生活上の機能や智力などの程度においては些かの違いがあるわけではない」。にもかかわらず帝国主義分子は人種の優劣を口にするが、それは「彼等が必要とする奴隷、被搾取、被圧迫民族を作るためにひねり出した反動的謬論だ。まさに偉大なる領袖である毛主席が英明にも指摘されているように『民族闘争は、突き詰めれば一つの階級闘争という問題』に行き着くのである」――
かくて結論は「階級闘争の発展は必然的にプロレタリア独裁を導き、最終的には一切の階級が消滅し、人類は階級なき社会へと進化する」。ならば現在の北京が猪突猛進する夜郎自大覇権超大国への道も「階級なき社会」への一里塚・・・絶対矛盾の自己撞着。 《QED》