【知道中国 434回】 一〇・八・仲九
――アメリカの中国研究者が語る中国研究の限界
『知の帝国主義』(P・A・コーエン 平凡社 1988年)
日中関係を考える場合、これからは愈々もって問題になってくるのがアメリカにおける中国観ではないか。“俗耳”に心地よく聞こえる日米中正三角形論のような“俗論”を好んで口にする“俗人”たちは、はたしてアメリカの中国観について真剣に考えたことがあるのだろうか。それも、日本とのかかわりの中で。
大上段に振りかぶって考えることでもなかろうが、外交政策が政治家の一時の思い付きや趣味嗜好で身勝手に進められた時、後世に大禍根を残し、大迷惑を被るのが国家・国民であることは、普天間ダッチロールに始まり韓国への謝罪から個人賠償発言まで、「政権交代」を果たして後の一連の民主党デタラメ外交が如実に示している。やはり情緒を排し相手国を如何に解釈し見徹すかという地道な学問的営為と、彼我の総合国力を如何に判断するかという冷徹な自己認識と、国際環境に置かれた自国の劣勢を如何に優位に転じさせるかという政治的膂力などを湊合させないかぎり、マトモな外交など望むべくもないはずだ。
「アメリカ人は、他の西洋人とともに中国史の舞台に登場し、中国史の形成に直接的役割を演じた。だが我々アメリカ人中国史研究者はまた、歴史家としての立場で、中国史を解釈するための学問的パラダイムを作り出すことにおいても指導的役割を演じてきたのである。それゆえにアメリカ人は中国に対し、二つのレベルで権力を行使してきたことになる」と考える著者は、この本を通じて「アメリカの中国研究に検討を加え、さらにそのことを通して、思想的次元における中国とアメリカの関係という、より包括的な問題をも直接的視野に収めようと」努めている。
著者はアメリカにおける一連の中国研究、ことに近現代研究が①アヘン戦争がもたらした「西洋の衝撃」に対する中国の反応。②アヘン戦争以後の近代化への試行錯誤の過程で生まれた牢固たる中華伝統との葛藤。③アヘン戦争から毛沢東中国の誕生までの1世紀余の中国が抱えた問題の原因は帝国主義――こういった「西洋中心的」な分析視点に傾き過ぎていたと指摘した後、「中国自身に即した」物指による中国研究を提唱している。いいかえればアヘン戦争という西洋による中国侵入以前にすでに中国社会は変化していた、ということ。おそらく著者の提唱の根底には、アヘン戦争がなかったとしても清朝は早晩崩壊せざるを得ない運命にあったという考えと同時に、文革にせよヴェトナム戦争にせよ、ここに挙げた3つの分析視点では中国は解釈し得ないという反省もあったはずだ。
この本が出版された翌年の6月の天安門事件の発生を、当時(いや、現在も)、鄧小平VS趙紫陽の権力闘争、頑迷保守派VS民主派などの構図で捉えがちだが、これを「中国自身に即した」物指に照らすなら、「民主派」が要求した“改革”が共産党秩序の安定のために必要な仕組みと相容れなかったことに起因する、ということ。だから鄧小平は、断固として秩序を選んだ。であればこそ現在がある。あの時、民主派が勝利し共産党組織が崩壊していたら、文革初期に毛沢東派が紅衛兵を唆し、奪権闘争の名のもとに既存の共産党組織を解体させ、全国を混乱の坩堝に叩き込んだ“悪夢”が再現されていただろう。老世代を追放し趙紫陽が政権を握った場合、独裁体制を布いた可能性はなきにしもあらず。
そこでいま必要なのは「中国自身」ではなく、「世界の秩序に即した」物指だろう。 《QED》