【知道中国 2403回】                       二二・八・初五

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習69)

■「入党做官」=「(劉少奇が撒き散らした)入党做官(出世)論は政治的・組織的に共産党員の魂を腐乱させ資本主義復辟の準備をなそうとするものだ。大部分の共産党員は生きては革命のために戦い、死しては革命のために献身する。

全身全霊で人民に服務し、壮麗無比な共産主義のために奮闘努力の人生を捧げる。誰もが、1人残らず毛主席の立派な戦士である」

――以上の4つの「文件名詞解釈」が特に突飛というわけではない。この本そのものが、当時の中国が置かれていた情況や共産党の“狂態”を鮮やかに描き出し、政治的マンガとしても十二分に読み応えがあると同時に、現在の習近平政権が内外に向けて見せる政治的振る舞いの一端の裏側を、皮肉混じりに浮かび上がらせて興味は尽きない。

たとえば、「死んでも悔い改めない資本主義の道を歩む実権派」をテンセント(騰訊)の馬化騰やアリババ(阿里巴巴)の馬雲ら巨大IT企業長者に置き換えるなら、カネに物言わせて共産党に逆らう傾向を見せたからこそ、彼らは共産党本来の「群衆路線」に背を向けていると見なせる。だから大富豪であろうが有無を言わせない。強権で押さえ込むだけだ。

一帯一路は「社会主義大家庭論」が形を変えた「中華民族主義大家庭論」と考えられないわけではない。現在の共産党員の多くは「入党做官論」の持ち主で、「昇官発財(役人になって出世してカネ儲け)」の権化ではなかろうか。ここに示す「官」を現在は幹部と呼ぶ。

それはさておき、『“九大”文件名詞解釈』には、この大会で採択された「中国共産党党章程」が収められているが、その「第一章 総綱」にみえる次の一節を読み返すだけでも、共産党における権力闘争の悲喜劇ぶりを思い知らされる。

「林彪同志は一貫して毛沢東思想の偉大な紅旗を高く掲げ、毛沢東同志の無産階級革命路線を最大限の忠誠をこめ、このうえなく堅固に推し進め護り続けた。林彪同志は毛沢東同志の親密なる戦友であり後継者である」

――かつて林彪という将軍アリ。その実態は毛沢東のパシリであった・・・のでは。

林彪と同じように文革を象徴する人物と言えば、誰がなんと言おうと、やはり雷鋒(1940~62年)だろう。しかも雷鋒は習近平政権下の現在でも学習が奨励されているわけだから、文革のアイコンであるだけではなく、「中国の夢」の体現者と考えられないわけではない。

「三つ子の魂・・・」の伝ではないが、やはり生まれた時から「毛沢東のよい子」を運命づけられて成長した習近平ら完全毛沢東世代の頭の中には、「為人民服務」の英雄と大賞賛された雷鋒の記憶が今なお消えることなく連綿と、鮮明に息づいているに違いない。

そこで問題の“毛沢東思想式刻苦勉励の聖人”である雷鋒の姿を、『雷鋒日記(増訂本)』(香港朝陽出版社)から紹介しておきたい。

 雷鋒(1940~62年)は湖南省長沙の生まれ。父親の雷明亮は27年に湖南・江西省境で毛沢東が指導した秋収蜂起に農民協会自衛隊長として参加し、44年に日本軍との戦いで犠牲になる。父親の苛烈な人生を胸に秘めた雷鋒は人民解放軍に入隊した60年に共産党入党。

工程運輸連、つまり工兵運輸中隊運転手である。撫順市人民代表。執務中事故死。没後に彼の人民に奉仕する姿勢が高く評価され、63年3月5日の『人民日報』で毛沢東が「雷鋒同志に学ぼう」と表明したことから、「模範兵士・雷鋒同志に学ぼう」運動が全国的に展開されることになったわけだ。

この運動は毛沢東への個人崇拝を大いに煽る働きをしたことから、文革中には殊に盛んに行われた。以後、毎年3月、「雷鋒同志に学ぶ」キャンペーンが実施されることになる。

以上が人名事典風に綴った彼の生涯だが、この本には毛沢東が「雷鋒同志に学ぼう」と呼び掛けるキッカケとなったとされる雷鋒の日記のハイライトが収められている。《QED》