【知道中国 2401回】                       二二・八・初一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習67)

 文革も3年目の69年になった。

3月には中ソ国境を流れる黒龍江(アムール川)支流の中州に位置する珍宝(ダマンスキー)島の領有をめぐり全面戦争一歩手前まで進んだ武力衝突(「中ソ国境紛争」)が勃発し、4月には毛沢東が「勝利の大会」と称え、林彪が毛沢東の後継者に正式に定められた第9回共産党全国大会が開催されている。

 振り返るなら中ソ国境紛争と「勝利の大会」が次の想定外中の想定外である「林彪事件」(71年9月)、さらに驚天動地のニクソン訪中=米中接近(72年2月)に繋がるわけだから、やはり「?個世界好難講(世の中ワケが判らない)」。国際社会は想定外だらけだ。

 加えて激化するヴェトナム戦争という要因も忘れてはならない。それというのも、米空軍B52による北爆がエスカレートし中国との国境に迫りつつあることで脅威を感じた毛沢東が、敵(ソ連)の敵(アメリカ帝国主義)と手を結ぶことで危機回避を狙ったからだ。

69年出版で先ず紹介したいのが、権力を手にした江青の高揚感と、その高揚感に陶酔する江青に煽られる紅衛兵の熱狂がタップリと詰まった『江青同志講話選編』(河北人民出版社)である。やや大袈裟な表現だが、この本を読み進むと行間から文革が巻き起こした“妖気”のようなものが立ち上ってくるから不思議だ。

 30年代半ばに革命の聖地・延安で毛沢東を色仕掛けで誑し込んで以来、政治権力への異常なまでの執着を抱き続けた江青にとって、文革は権力の階段を一気に上り詰める千載一遇の絶好機であった。彼女は文革という権力芝居の舞台に飛び出したのである。

 『江青同志講話選編』は66年2月から68年9月にかけて――文革前夜から文革勃発を経て中央文革小組の中心メンバーに納まり、江青が念願の最高権力の一角を占めるまでの間に行われた様々なレベルでの政治集会における彼女の発言を拾い集めている。

発言の間に「長時間熱烈拍手」といった注記が挿入されているだけに、当時の会場の雰囲気がリアルに読み取れてじつに興味深い。なお裏表紙に「内部発行」の4文字が印刷されているところをみると、この本は一般に発売されたものでもなさそうだ。

当時、全土は熱狂と暴力の巨大な坩堝と化した。権力への欲望が噴出し、権力をめぐる怨念が渦を巻き、それらが綯い交ぜに混ざり合い奔流となって人々を突き動した。

はてさて何が起こったのか、中国は何処に向かうのか。誰もが明日の自分の運命すら判らない。不安と疑心暗鬼と故なき恐怖心とが沸騰し、「人民中国」と言う名の地獄の釜の蓋は吹き飛んだまま――疾風怒濤こそ、江青の背後に立つ毛沢東は望むところだったはず。

いわば権力をめぐる利害打算、思想的飛躍とこじつけ、若者の非日常への憧れなど。それらが複雑微妙に共鳴し合いながら政治的化学反応を引き起こす――制御不能、いわば究極のアナーキー状況こそが、文革最盛期の偽らざる姿ではなかったか。

ひとたび江青が演壇に立つと、沸き立つ「革命的群衆」の熱い視線が彼女に集中的に注がれる。天をも焦がすような革命的熱気に包まれた会場に、甲高い彼女の声が響く。“革命的常套句”が小気味よく舌鋒鋭く機関銃のように続く。唸りを上げ湧き返る会場。渦巻く熱気に彼女の脳中でアドレナリンが迸り絶叫のボルテージは上がり、会場の熱気もまた最高潮に達する。

熱狂が興奮を呼び、興奮が狂騰を引き寄せ、互いに共鳴し煽り合い、政治的トランス状態が一帯を包む。彼女はもちろん、会場の誰もが至福の一刻に浸る。まるでアイドルの武道館公演であり、野外のロックフェステイバルだ。誰もが観客であり、同時に主役と化す。

たとえば67年9月に河南、湖北から北京にやってきた軍隊幹部、地方幹部、それに紅衛兵が加わった集会だが、それは熱狂する大衆が演ずる壮大な暴力芝居であった。《QED》