【知道中国 2077回】                       二〇・五・仲六

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘38)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

橘はロシアと中国の紛争を例に引きながら、とどのつまり中国人は自国政府を否認することもあれば、「誠意を以て新國家の建設を援助する勢力であれば假令其れが國外から來たものであらうとも、自國政府及び其の支持者たる所謂軍閥以上に之を信頼する事實をもがたるものである」とした。

ここに示された「新國家」も「自國政府」も共に同じ「國」という文字を使っているから判りにくいが、おそらく「連ソ・容共・扶助工農」を掲げてソ連の援助を受け入れたのは、孫文がソ連(コミンテルン)を「誠意を以て新國家の建設を援助する勢力」と認めたから、ということなのか。その場合の「新國家」は反軍閥・反帝国主義を掲げる中華民国ということだろう。

一方、コミンテルンとの提携に踏み切ったということは、孫文は頭山満や犬養毅ら日本の支援者を「誠意を以て新國家の建設を援助する勢力」とは認めなくなっていた、と受け取れる。ならば言論活動を離れ実際政治に足を踏み入れて以降の満洲国における協和会、合作社運動などに、橘は「誠意を以て新國家の建設を援助する勢力」としての役割を担わせようとしたのか。そうだとするなら単純に過ぎると思う。

いずれにせよ「利己心」「愛國と云ふ事」と面子は、「國外から來た」ところの「誠意」と、どこで、どう結びつくのか。

これを反対に考えるなら、当時の日本人は中国に同情を寄せ、孫文らに誠心誠意尽くしながらも、彼らが「利己心」と「愛國と云ふ事」と面子を絡めながら、他の「誠意を以て新國家の建設を援助する勢力」に乗り換えるだろうことに思いを致さなかったことになる。

さらにコミンテルンを「誠意を以て新國家の建設を援助する勢力」を見做した孫文の心の内に、「利己心」と「愛國と云ふ事」と面子の意識はなかったのだろうか。

――すでに述べたように支那通の中国認識の欠陥を激しく批判する橘だが、この辺の議論になると曖昧模糊としたご都合主義に思える。どうやら目クソ鼻クソを笑うの類に近い。

蔡元培(国立北京大学学長)を筆頭に王寵恵(北京大学教員)、陶行知(国立東南大学教育科主任)、梁漱溟(北京大学教員)、李大釗(北京大学図書館主任)、胡適(北京大学教務長)ら五・四運動前後の知識人の代表が、1922年に「吾等の政治主張」を発表し、「好政府」、つまり国家としての中国の理想の姿を描いて見せた。

そこに見られる「所謂好政府の政治方法に關し」て掲げた3つの基本原則を、橘は次のように整理した。

(1)「政治を軌道に上せる爲の第一歩だから」、「憲政的政治を要求する」。

(2)政府に関わる情報の「公開が一切の秘密及び罪惡を打破する唯一の武器だから」、「公開的政府を要求」する。

(3)これまでの中国の政治の「大缺點は無計畫にあ」る。「平凡な計畫でも無計畫の暗中模索に勝るもの」だから、「計畫ある政治を要求する」。

この3点を敷衍すると、(1)は法治の徹底、(2)は政府の秘密主義・隠蔽体質の打破、(3)は政治主導で突き進む無謀極まりない大風呂敷的政策に対する厳正・中立な立場からの評価――と言い換えることが出来るだろう。

ならば民主派による共産党独裁政権批判と「一模一様(うりふたつ)」ということになる。毛沢東の大躍進にしても習近平の一帯一路にしても、冷静に考えれば(いや、冷静に考えなくても)指導者の無計画で野放図な野望――指導者の「利己心」を満足させる――のみが先行しているということだろう。してみると中国政治の本質に変化なし、です。《QED》