【知道中国 2075回】                       二〇・五・仲二

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘36)

橘樸「中國人の國家觀念」(昭和2年/『橘樸著作集 第一巻』勁草書房 昭和41年)

「國民黨の農業政策が年と共に發展して行く望が充分にある」と考えられる広東省に限定するなら、最下層の貧農は農民協会に参加し、その活動の中核となっている。それというのも農民協会の活動を通じて国民党⇒国民政府⇒国家が、彼らに利益を与えるからだ。

 いわば「目に一丁字なき農民も」、国家が彼らに利益を与えることを実感することで、「彼等自身の利益の爲、斯の如く國家に愛着を感じ、之を擁護する爲には相當の物質的精神的犠牲を拂ふ事」を自覚するようになる。それは農民協会会員による国民政府に対する軍事行動支援によって明らかだ。

 かくて橘は「農民は知らず識らずの間に利己心と愛國心との一致と云ふ中國には破天荒なる體驗を成なし得た次第である」と、「貧農の國家への目覺め」を促した「孫文の苦心」を評価する。

 例によって回りくどい言い方だが、要するに「孫文の苦心」とは、貧農に対し、地主や民団の下でコキ使われるよりは、国民党(国民政府)の下部組織である農民協会に加勢した方がトクになりますよ、ということを周知させた、ということだろう。

 ここで首を傾げざるをえない。

ならば「利己心」を満足させない国家に対しては、彼らは「愛國」の立場に立って動くはずもない。中国における「愛國」の行動は「利己心」と一体化している。「利己心」を刺激しないなら、国家は国民から容易に見放される。棄民ならぬ棄国だ。これを敷衍すると、国家が国民の「利己心」を保障してこそ、老百姓(じんみん)は国民になる。だから国家が国民の「利己心」を満足させられないと分かった段階で国民は老百姓に戻ってしまい、国家の態を失う。あるいは蔣介石に率いられた1949年の中華民国がそれだろうか。

いまさらJ・F・ケネディーの就任演説を持ち出しても致し方ないとは知りつつも、かの有名な次の一節が頭の片隅に蘇る。

「だから国民諸君よ、国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるかを問うて欲しい」。

「利己心」と「愛國」を天秤に掛けるような老百姓には、この一節は馬の耳に念仏、ブタに真珠、ネコに小判、ヌカにクギ・・・ということだろう。きっと、そうに違いない。

「愛國」が「利己心」を満足させると納得出来て、「四十年も前に唱へ出した孫文の國家思想――民族主義――が漸く此の數年來、中國の無産者の一部に受入れられるに至」った。

孫文の次に「現れた國家思潮は、所謂五四運動、即ち學生の愛國運動」ということになる。橘は「五四運動には所謂思想革命及び文學革命なる二つの民主主義運動が先行した」とし、「思想革命は陳獨秀氏の點火したもので、〔中略〕儒敎及び家族主義の拘束から自國の人民殊に學生を解放したものである」。アメリカ留学から戻った胡適が唱えた文革革命は「形式的には文章體の舊形式を破棄して、口語體の新衣装を纏ふべきだと主張したものに過ぎぬ」ものだが、「精神的には自我及び時代に覺醒せよと云ふ叫びであつた。陳氏の儒敎及び家族制度の排斥も亦之と精神を同じくするものである」とする。

橘は当時の学生たちを動かした思想は主として「自由主義又は個人主義」であり、それゆえに「意識的又は無意識的に彼等を拘束するところの傳統から彼等を切離すに役立つた」。

この「傳統」とは「列強の壓迫を不可抗力として諦め來つた數十年の傳統」であり、それゆえに彼らは「此の民族が過去四千年間に築き上げた輝かしい文化と歷史」という「家寶の尊さを認識」するの至り、それをバネにしたからこそ「列強の侵略的態度に對する憤りは昂まらざるを得ない」というのだが、さて学生には「利己心」はなかったのか。《QED》