【知道中国 2043回】                       二〇・三・初九

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘4)

橘樸「中國を識るの途」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』(勁草書房 昭和41年)

「此二千年來」、儒教は確かに「宗敎に非ず」。だが、「其れ以前に行はれた所謂原始儒敎は『上帝』を本尊とするところの正眞正銘の宗敎であつた」。ところが孔子が登場し、「彼の信仰した民族宗敎のお祖師樣は『周公』」であり、周公が理想の政治を行ったと崇め奉られるようになってから儒教は一変する。

漢の武帝の時代に「國敎」と指定されたことで、「單なる政治上及道德上の鑄型と化して了つた」。宗教色を捨て「政治及行政の形式を整へ、一面には支配階級の道德標準を此所に求めて、更に進んでは之も同じ標準に被支配階級をも從はしめようとしたに過ぎない」。

かくして「當然の歸結として儒敎は單に支配階級者の公的及私的行爲を律する文字通りの形式となつて了つたのである」。いわば儒教は「單なる政治上及道德上の鑄型」であり「單に支配階級者の公的及私的行爲を律する文字通りの形式」なってしまった。儒教は実態的には「鑄型」「形式」に過ぎないのである。にもかかわらず「正直にして單純なる日本國民」は、「其本場たる中國の社會にあつては、公的にも私的にも一層有効に其民族を支配して居ると信じたがるのであらう」。

じつは「生命ある儒敎は其の宗敎性と共に早く二千年前に滅亡し、爾來朝廷の政治的威力と支配階級の社會的勢力とに依り、只其の形骸のみが辛うじて今日迄維持されて居るに過ぎぬのである」。

――こう橘は中国は儒教の国ではないと説く。だから「日本人は中國を儒敎の國であると思ひ込んで居る」のは間違いである。その点では彼の主張は正しい。だが、ここでも半分は間違いだ。儒教は「其の形骸のみが辛うじて今日迄維持されて居るに過ぎぬ」ものの、じつは「鑄型」「形式」は「形骸」なんぞではなく、それこそを実質と見做すべきだ。これを言い換えるなら実質を形作るのが「鑄型」であり、「形式」なのである。

たとえば毛沢東思想の根幹である「為人民服務」「自力更生」だが、国民党の追撃を躱しながら命からがら延安に逃げ込んだ毛沢東が、体制を立て直し権力を集中的に掌握するために「政治及行政の形式を整へ、一面には支配階級の道德標準を此所に求め」ようと持ち出した“政治的呪文”こそが「為人民服務」「自力更生」だろう。

1949年の建国後、毛沢東は「更に進んでは之も同じ標準に被支配階級をも從はしめようとした」。かくして国を挙げて「為人民服務」の「鑄型」に嵌められ、「自力更生」の「形式」から逃れ出ることが許されず、1950年代末の反右派闘争、大躍進、社会主義教育運動、そして総仕上げの文化大革命へと地獄への道を転がり落ちたというわけだ。いわば「為人民服務」と「自力更生」は全土をマインドコントロール状況に置くための装置だったのだ。

だから「鑄型」「形式」と軽んじては実態を見誤る。「形」「型」が思想であり、実質を規定するのである。日本人の大間違いの根本は『論語』に見える一字一句を真に受け、政治に道徳が反映されていると“勝手”に思い込んでしまったこと。お人好しなんです。

ここで再び毛沢東の独裁手法を例に引けば、国民すべてに「為人民服務」「自力更生」の声を上げさせて同じ方向に進ませればいいのであって、国民1人1人が「為人民服務」「自力更生」を実践するかしないかは第二義的な問題なのである。ところが日本人は中国国民の誰もが1人残らず「為人民服務」「自力更生」を拳々服膺していると“勝手”に勘違いし、道徳的・道義的日々を送っているものだと信じ込んでしまった。バカな話だ。

かつて日本では毛沢東時代の中国を「道義国家」と呼ぶだけではなく、「中国共産党の倫理的ないしは道徳主義的性格」を大いに称えていた。そのことを、よもや忘れはしないはずだ。あの気恥ずかしいまでの過ちを、日本人は克服できたのだろうか。《QED》